東國漢學
静嘉堂文庫宋元版図録 豆瓣
作者:
静嘉堂文庫
出版社:
汲古書院
1992
- 4
静嘉堂文庫は、 三菱二代社長岩崎彌之助氏によって創設され、 平成四年創立百周年を迎えた。 和漢の善本の蒐集に努め中でも清国の陸心源蔵書を中核とする宋元版は世界屈指の宝庫である。 宋元版253部の一大図録が完成。文庫略史・宋元版解説・各種索引付き。
漢魏六朝における『山海経』の受容とその展開 豆瓣
作者:
松浦史子
出版社:
汲古書院
2012
- 2
漢と唐という巨大な帝国に挟まれた六朝四百年は、北方異民族の脅威や王室相克の下に、いくつもの王朝が目まぐるしく興亡を繰り返した時代であった。漢帝国四百年を支えた儒教に代わって仏教や道教が興隆し、旧来の価値体系は大きな変化を余儀なくされた。「文学篇」では、この激動の六朝時代に、中国古来の神話的地理誌である『山海経』が如何に受容されたか、という視点から、六朝人の世界観・宇宙観の一端を考察する事を目的とする。採り上げるのは、『山海経』の注釈や「遊仙詩」によって知られる六朝始めの詩人・郭璞と、その郭璞と遊仙詩風の継承関係が指摘される六朝後半の詩人・江淹である。
「図像篇」では、検討の対象を、動乱の六朝四百年に先駆ける漢帝国四百年に拡張する。『山海経』が「異形」の博物を描いた図像を扱うことはよく知られる。しかし『山海経』の図像に関する研究は明代以降の図像の比較研究に留まり、六朝以前の人々が目にした古図研究については殆ど手つかずのままである。
これに対して本著では、とくに漢魏六朝の政治・文化を動かした異形の瑞祥イメージと、『山海経』の異形の神話的博物との関連性を推測しつつ、「瑞祥」と政治・文化の関係を中心に漢魏六朝に於ける神話的図像の
諸相について考察する。
「図像篇」では、検討の対象を、動乱の六朝四百年に先駆ける漢帝国四百年に拡張する。『山海経』が「異形」の博物を描いた図像を扱うことはよく知られる。しかし『山海経』の図像に関する研究は明代以降の図像の比較研究に留まり、六朝以前の人々が目にした古図研究については殆ど手つかずのままである。
これに対して本著では、とくに漢魏六朝の政治・文化を動かした異形の瑞祥イメージと、『山海経』の異形の神話的博物との関連性を推測しつつ、「瑞祥」と政治・文化の関係を中心に漢魏六朝に於ける神話的図像の
諸相について考察する。
中国聚落史の研究 豆瓣
作者:
中村治兵衛
出版社:
刀水書房
2008
- 5
若い頃(1941年)旧中国の農村調査に参加した折に農民の生活を実見調査した体験と、文学作品までも渉猟して発掘した史料によって、従来の制度的な研究を越えた著者のライフワーク。没後刊行の著作集が遂に完結する。異彩を放って注目された第1巻『中国シャーマニズムの研究』・第2巻『中国漁業史の研究』刊行後10数年を過ぎてなお、文献中心のこのジャンルでは刺激的な1冊!
〔あとがきから〕
……著者の研究においては、今回の第三巻『中国聚落史の研究』こそが、ライフワークとして取り組まれ、最も精力を傾注された課題である。……著者が東亜研究所の命で参加された華北農村慣行調査は、著者二五歳の時であった。中国農村慣行調査は、中国研究の上で大きな役割を果たしたが、著者は、旧中国の農村を実見し、その調査に直接関わった。この貴重な体験は、著者が農林省農業総合研究所において次々と発表される旧中国の農村研究において生かされることになる。
〔あとがきから〕
……著者の研究においては、今回の第三巻『中国聚落史の研究』こそが、ライフワークとして取り組まれ、最も精力を傾注された課題である。……著者が東亜研究所の命で参加された華北農村慣行調査は、著者二五歳の時であった。中国農村慣行調査は、中国研究の上で大きな役割を果たしたが、著者は、旧中国の農村を実見し、その調査に直接関わった。この貴重な体験は、著者が農林省農業総合研究所において次々と発表される旧中国の農村研究において生かされることになる。
宋—明宗族の研究 豆瓣
作者:
井上徹、遠藤隆俊 編
出版社:
汲古書院
2005
- 3
【総論】宋元の部(遠藤隆俊)/元明の部(井上徹)/総括コメント(岸本美緒)【宋元の部】宗族を見る手法(小島毅)/近世宗族研究における問題点(吾妻重二)/宋代における宗法論をめぐって(佐々木愛)/宋代の二つの名族(小林義廣)/劉摯『忠粛集』墓誌銘から見た元祐党人の関係(平田茂樹)/祠廟と「地域社会」(須江隆)/宋代四明氏墓葬遺跡(蔡罕)/宋元代江西撫州におけるある一族の生存戦略(青木敦)/宋代の修譜と国政(近藤一成)【元明の部】元朝統治と宗族形式(中島楽章)/明代徽州宗族の社祭組織と里甲制(田仲一成)/明代徽州における族譜の編纂(臼井佐知子)/宗族資産の成立と展開(熊遠報)/明代珠江デルタの宗族・族譜・戸籍(片山剛)/火葬をめぐる若干の問題について(中純夫)
唐宋時代の交通と地誌地圖の研究 豆瓣
作者:
青山定雄
出版社:
吉川弘文館
1963
- 3
殷周時代青銅器の研究 豆瓣
作者:
林巳奈夫
/
ハヤシ ミナオ
出版社:
吉川弘文馆
1984
- 2
京都大学人文科学研究所研究報告
朱子家礼と東アジアの文化交渉 豆瓣
作者:
吾妻 重二 編
/
朴 元在 編
出版社:
汲古書院
2012
- 3
二〇〇九年十一月三日・四日の二日間、韓国慶尚北道安東市の韓国国学振興院において、韓国国学振興院および関西大学グローバルCOE「文化交渉学教育研究拠点」(ICIS)共催の国際シンポジウム「朱子家礼と東アジアの文化交渉」が開かれた。本書はそのシンポジウムの論文集である。
シンポジウムが朱熹の『家礼』と「東アジア」を銘打ったのにはわけがある。南宋の朱熹(一一三〇~一二〇〇)が著わした『家礼』は朱子学の広範な伝播とあいまって、中国のみならず、朝鮮、ベトナム、琉球、日本などの東アジア地域にさまざまな影響をもたらしたからである。『家礼』とは冠婚喪祭(冠婚葬祭)を行なうための手引書であり、近世以降、この地域において日常の通過儀礼や死者儀礼のための重要なマニュアルと目されてきた。しかし、これまで儀礼研究が立ち遅れていたこともあって、その具体的な様相は必ずしも明らかになっていなかった。そこで本学と研究協力協定を結んでいる韓国国学振興院とはかり、広い視野から『家礼』をとりあげるシンポジウムを企画、開催したのである。
シンポジウムが朱熹の『家礼』と「東アジア」を銘打ったのにはわけがある。南宋の朱熹(一一三〇~一二〇〇)が著わした『家礼』は朱子学の広範な伝播とあいまって、中国のみならず、朝鮮、ベトナム、琉球、日本などの東アジア地域にさまざまな影響をもたらしたからである。『家礼』とは冠婚喪祭(冠婚葬祭)を行なうための手引書であり、近世以降、この地域において日常の通過儀礼や死者儀礼のための重要なマニュアルと目されてきた。しかし、これまで儀礼研究が立ち遅れていたこともあって、その具体的な様相は必ずしも明らかになっていなかった。そこで本学と研究協力協定を結んでいる韓国国学振興院とはかり、広い視野から『家礼』をとりあげるシンポジウムを企画、開催したのである。
出土資料と漢字文化圏 豆瓣
作者:
谷中信一 編
出版社:
汲古書院
2011
- 3
【序文】より(抜粋)
本書は、平成一九年度から二一年度に亘る三年間の日本学術振興会科学研究費助成による基盤研究(b)「新出土資料を通してみた古代東アジア世界の諸相―漢字文化圏の中の地域性―」(課題番号:20320009)の研究成果である。本書に収めてある論文一七篇は、いわゆる漢字文化圏で発見された青銅器も含む出土資料全般についての研究論文である。漢字文化圏とは言いながら、中国大陸での新出楚簡に関する論文に集中しているのは、現在の出土状況を考えればやむを得ないことである。われわれ研究グループは、みなそれぞれ異なる研究分野を持ち、それぞれの研究テーマに沿って研究しているのであるが、その一方で全員が出土資料を扱うという共通点を持っている。このことの意義は大きい。なぜならば、出土資料を単眼ではなく複眼で、言い換えれば対象を立体的に見ることができることになるからである。従って、本論文集は単なる研究成果の寄せ集めとは違う。例えば、『凡物流形』に関する論考が四本あるが、これらは全く別々の視点から独立して執筆されたものであり、始めから相互的連関を意図していたわけではないのであるが、先秦思想史や同文化史、中国古文字学、書法史など、それぞれ専攻を異にする立場から議論が展開している。また郭店楚墓の下葬年代をめぐって、思想史研究の立場と考古研究の立場からそれぞれ論が立てられており、両者の言い分は全く相容れないのであるが、読者はそうした白熱した論争に思わず引き込まれてしまうであろう。本論文集に展開される一七篇の論考を足場に新たな知見が掘り起こされ、そしてそこから更に活気に満ちた論争が展開していくならば、編者としてこれ以上の喜びはない。
本書は、平成一九年度から二一年度に亘る三年間の日本学術振興会科学研究費助成による基盤研究(b)「新出土資料を通してみた古代東アジア世界の諸相―漢字文化圏の中の地域性―」(課題番号:20320009)の研究成果である。本書に収めてある論文一七篇は、いわゆる漢字文化圏で発見された青銅器も含む出土資料全般についての研究論文である。漢字文化圏とは言いながら、中国大陸での新出楚簡に関する論文に集中しているのは、現在の出土状況を考えればやむを得ないことである。われわれ研究グループは、みなそれぞれ異なる研究分野を持ち、それぞれの研究テーマに沿って研究しているのであるが、その一方で全員が出土資料を扱うという共通点を持っている。このことの意義は大きい。なぜならば、出土資料を単眼ではなく複眼で、言い換えれば対象を立体的に見ることができることになるからである。従って、本論文集は単なる研究成果の寄せ集めとは違う。例えば、『凡物流形』に関する論考が四本あるが、これらは全く別々の視点から独立して執筆されたものであり、始めから相互的連関を意図していたわけではないのであるが、先秦思想史や同文化史、中国古文字学、書法史など、それぞれ専攻を異にする立場から議論が展開している。また郭店楚墓の下葬年代をめぐって、思想史研究の立場と考古研究の立場からそれぞれ論が立てられており、両者の言い分は全く相容れないのであるが、読者はそうした白熱した論争に思わず引き込まれてしまうであろう。本論文集に展開される一七篇の論考を足場に新たな知見が掘り起こされ、そしてそこから更に活気に満ちた論争が展開していくならば、編者としてこれ以上の喜びはない。
西晉「儒教国家」と貴族制 豆瓣
作者:
渡邉義浩
出版社:
汲古書院
2010
- 10
【結論】より
「儒教国家」とは、後漢以降の中国国家が、儒教の理念に依拠して支配体制を正統化することを表現するための分析概念である。(中略)儒教によりその支配を正統化される皇帝が、儒教の教養を持つ文人官僚と、その出身母体である在地勢力を利用した支配を行う、という伝統中国に固有な国家体制は、道教や仏教の隆盛後も引き継がれていく。西晉を建国する司馬氏は、曹魏に対する「名士」の反発を束ねて権力を掌握するなかで、「儒教国家」の再編を行っていく。本書で解明したように、西晉「儒教国家」では、国家の統治政策が経典の典拠を持つに至るのである。 一方、三国時代の支配階層であった「名士」は、西晉において貴族へと変貌する。中国の貴族制は、官僚制でも封建制でもなく、身分制として皇帝権力により編成された。国家的身分制としての貴族制は、五等爵制や士庶区別により皇帝が作り上げた国家体制の一部なのである。したがって、西晉「儒教国家」の国家体制を正統化する一環として、儒教は貴族制をも正統化する。そのための理念が「封建」である。始めて貴族制が成立した西晉の五等爵制以降、両晉南北朝の貴族制は、「封建」という儒教の理想的な統治理念に沿うものとして正統化された。「封建」という理念が、社会の分権化に対して、君主権力を分権化して、国家権力全体としての分権化を防ぐに足る内容を備えていたからである。ところが、西晉「儒教国家」は、太康元(二八〇)年の三国統一の後、わずか十数年の安定期を持つだけであった。八王の乱が勃発し、続けて起こった永嘉の乱によって西晉は滅亡、かろうじて司馬睿により、建武元(三一七)年に東晉が建国される。西晉滅亡の原因は、恵帝の不慧に帰せられることが多い。
しかし、滅亡の本質的な理由は、西晉「儒教国家」の限界、さらには国家の支配理念としての儒教そのものの限界にあるのではないか。
本書は、以上のような研究動向と問題意識のもと、西晉「儒教国家」と貴族制の形成、および西晉「儒教国家」の崩壊と儒教の限界を思想史を中心に解明したものである。
「儒教国家」とは、後漢以降の中国国家が、儒教の理念に依拠して支配体制を正統化することを表現するための分析概念である。(中略)儒教によりその支配を正統化される皇帝が、儒教の教養を持つ文人官僚と、その出身母体である在地勢力を利用した支配を行う、という伝統中国に固有な国家体制は、道教や仏教の隆盛後も引き継がれていく。西晉を建国する司馬氏は、曹魏に対する「名士」の反発を束ねて権力を掌握するなかで、「儒教国家」の再編を行っていく。本書で解明したように、西晉「儒教国家」では、国家の統治政策が経典の典拠を持つに至るのである。 一方、三国時代の支配階層であった「名士」は、西晉において貴族へと変貌する。中国の貴族制は、官僚制でも封建制でもなく、身分制として皇帝権力により編成された。国家的身分制としての貴族制は、五等爵制や士庶区別により皇帝が作り上げた国家体制の一部なのである。したがって、西晉「儒教国家」の国家体制を正統化する一環として、儒教は貴族制をも正統化する。そのための理念が「封建」である。始めて貴族制が成立した西晉の五等爵制以降、両晉南北朝の貴族制は、「封建」という儒教の理想的な統治理念に沿うものとして正統化された。「封建」という理念が、社会の分権化に対して、君主権力を分権化して、国家権力全体としての分権化を防ぐに足る内容を備えていたからである。ところが、西晉「儒教国家」は、太康元(二八〇)年の三国統一の後、わずか十数年の安定期を持つだけであった。八王の乱が勃発し、続けて起こった永嘉の乱によって西晉は滅亡、かろうじて司馬睿により、建武元(三一七)年に東晉が建国される。西晉滅亡の原因は、恵帝の不慧に帰せられることが多い。
しかし、滅亡の本質的な理由は、西晉「儒教国家」の限界、さらには国家の支配理念としての儒教そのものの限界にあるのではないか。
本書は、以上のような研究動向と問題意識のもと、西晉「儒教国家」と貴族制の形成、および西晉「儒教国家」の崩壊と儒教の限界を思想史を中心に解明したものである。
義疏學衰亡史論 豆瓣
南北朝至初唐義疏學研究
作者:
喬秀岩
出版社:
萬卷樓圖書公司
2013
- 7
「我有屬於我自己的一顆星星。」作者三十三歲撰寫此書,充滿悲劇感。二劉鄙視南北朝義疏學的遊戲規則,傳統學術竟失立足之地。清人表面尊奉注疏,實則極盡誤會、曲解之能事。學者何時才能虛心閱讀義疏?絕望的控訴。
同樣由孔穎達等奉敕編纂的《毛詩正義》與《禮記正義》之間,有討論同一問題而結論正相反的情況。應該如何理解?作者分析《論語義疏》、《禮記子本疏義》、《周禮疏》、《儀禮疏》、《禮記疏》,討論南北朝舊義疏學的基本方法;分析《書》、《詩》、《春秋》疏及《孝經述議》,討論劉炫、劉焯與舊義疏學截然不同的學術方法。根據這些分析討論,介紹劉炫、劉焯摧毀舊義疏學的實際情況,又論孔穎達、賈公彥等在劉炫、劉焯的強烈影響下,只能因襲舊義疏進行小調整而已,義疏學已經失去了學術創造力。
同樣由孔穎達等奉敕編纂的《毛詩正義》與《禮記正義》之間,有討論同一問題而結論正相反的情況。應該如何理解?作者分析《論語義疏》、《禮記子本疏義》、《周禮疏》、《儀禮疏》、《禮記疏》,討論南北朝舊義疏學的基本方法;分析《書》、《詩》、《春秋》疏及《孝經述議》,討論劉炫、劉焯與舊義疏學截然不同的學術方法。根據這些分析討論,介紹劉炫、劉焯摧毀舊義疏學的實際情況,又論孔穎達、賈公彥等在劉炫、劉焯的強烈影響下,只能因襲舊義疏進行小調整而已,義疏學已經失去了學術創造力。