IntellectualHistory
先秦思想史上の墨家 豆瓣
作者: 岡本 光生 出版社: 汲古書院 2020 - 4
【序章より】(抜粋)
本書は、墨家の思想を、先秦諸思想、とくに荀子のそれとの対比を念頭において分析したものである。
孔子以後、孟子以前の時期にその原型が成立した墨家の思想を戦国時代末期に成立した荀子の思想と対比しつつ論ずる根拠とその有効性については、行論のなかで明らかになるであろう。
戦国時代末期に儒家とならんで学団を形成し、社会における人間のありようを追求し、「世之顕学」(「韓非子」顕学)とされた墨家学派の開祖、墨子の姓名、生没年、生国等について、以下において論ずるが、「墨子」書中には、「墨」が姓とは明記されておらず、名前、翟としか明示されていない。墨子本人、その弟子たちが、すなわち墨家集団がそうした問題についてほとんど関心を示していないこと、そして示していないことそれ自体が、儒家思想と対比した場合の墨家思想の特色の一つであろうこと、むしろ儒家思想こそが特殊であることをあらかじめ述べておきたい。……これまでの墨家思想の分析は、兼愛上篇の思想を「弱者支持」、「双務倫理」の思想と理解したところから出発し、「墨子」書の文献批判もそれとの関連でなされている。そして、その結果、墨家思想は「弱者支持」の進歩的思想から専制帝国を支えるイデオロギーと化した、と評価されるのであるが、はたしてそうであろうか。それならば、「専制帝国」の成立とともに墨家は消滅した、という主張との整合性はいかにして可能になるのであろうか。われわれは、まず、兼愛上篇の主張するところを分析し、その基底に存在する人間把握をあらためて問題にしなければならない。
校书与修史 豆瓣
作者: 张宗品 出版社: 社会科学文献出版社 2020 - 4
两汉之际,校书机构开始由兰台转至东观。东观兼有校订五经、杂定礼仪、读书进学、教授生员等职能,是文职士人处理国家诸多层面知识、教育和意识形态问题的一个整合平台。
近代书目与中国传统学术的学科化转型 豆瓣
作者: 傅荣贤 出版社: 社会科学文献出版社 2020 - 4
围绕“书目”与“学术”的互动关系,既从学术演进的角度揭示近代书目发生、发展的规律及其谱系变革的动态特征,确证近代目录是一个具有内在逻辑统一性的学理领域;又以近代书目为框架,梳理传统学术在近代语境下学科化转型的完整脉络。书目不再是文献的被动记录和客观反映,而是通过文献秩序的建构,极主动地伸张学术见解,表达学术意志。本书可供古典文献学、图书馆学等涉及目录学专业的师生阅读,亦面向广义文史领域的读者。
The Scientific Method 豆瓣
作者: Henry M. Cowles 出版社: Harvard University Press 2020 - 4
The surprising history of the scientific method—from an evolutionary account of thinking to a simple set of steps—and the rise of psychology in the nineteenth century.
The idea of a single scientific method, shared across specialties and teachable to ten-year-olds, is just over a hundred years old. For centuries prior, science had meant a kind of knowledge, made from facts gathered through direct observation or deduced from first principles. But during the nineteenth century, science came to mean something else: a way of thinking.
The Scientific Method tells the story of how this approach took hold in laboratories, the field, and eventually classrooms, where science was once taught as a natural process. Henry M. Cowles reveals the intertwined histories of evolution and experiment, from Charles Darwin’s theory of natural selection to John Dewey’s vision for science education. Darwin portrayed nature as akin to a man of science, experimenting through evolution, while his followers turned his theory onto the mind itself. Psychologists reimagined the scientific method as a problem-solving adaptation, a basic feature of cognition that had helped humans prosper. This was how Dewey and other educators taught science at the turn of the twentieth century—but their organic account was not to last. Soon, the scientific method was reimagined as a means of controlling nature, not a product of it. By shedding its roots in evolutionary theory, the scientific method came to seem far less natural, but far more powerful.
This book reveals the origin of a fundamental modern concept. Once seen as a natural adaptation, the method soon became a symbol of science’s power over nature, a power that, until recently, has rarely been called into question.
朱熹の思想体系 豆瓣
作者: 土田 健次郎 出版社: 汲古書院 2019
【「序」より】(抜粋)
本書は、朱熹の思想体系全般の論述を試みたものである。…朱熹の理論構築を検討する時に必要なのは、朱熹が自己の主張の説得力をどこに持たせようとしたかを考えることである。時には論理そのものの力により、時には経書の権威を借り、時には当時の通念に頼る。また朱熹の表現のしかたも問題になる。「Aは即ちB」と書いてあっても、文字通りAとBが合同であるという意味から、Aの一部がB、逆にAの一部がB、という意味まで多様である。ただこれらのことを妥協とのみ見なすのは、我々の驕りである。我々とても時に朱熹以上に理論以外の要素を自己の論述に紛れ込ませているではないか。むしろ考えるべきなのは、自他を納得させるには、我々が雑多な夾雑物と見える要素が必要だったということであり、我々はそのような形を取る思想表現の姿というものを正確に把握しなければならないことである。このような要素をも確実に掬い上げてこそ朱熹の思想研究は充実したものになるはずである。
朱熹の思想体系を描くには、彼の膨大な文献から、学説の柱として重ねて強調されている諸主張を摘出し、それらの相互関係を解明することが有効であろう。わずかの例に固執し、それにはずれる他の多くの論述を無理に否定するような試みに紙数を割くことは徒労である。また片言隻語から「哲学的に」引伸し、朱熹があずかり知らぬ地平にまで行ってしまうのも同様である。更に後に「字義」の類が流布した影響もあろうが、理、気、性、惰、という語に過度にこだわるため、朱熹がそれらを駆使して表現したかった当のものを逃すことも往々にして見受けられる。朱熹はこれらの語を規定するために思想を組み立てたのではなく、これらの語の組み合わせから思想を浮かび上がらせようとしたのであり、それこそを把握しなければならない。朱熹は、性や心は言葉では説明しきれないということを明言することがある。その意味は重い。
また朱熹が駆使する用語は、以前から使用されてきた伝統的なものが中心であるがゆえに、往々にして複数の意味が含み込まれていて、その用語が他のいかなる用語との対比されるかで意味の力点が変化する場合も少なからずある。それゆえ各用語は常にどのような状況で使用されているかを考慮しながらその意味摑まねばならず、具体的作業は本書の随処に行っている。
ともかくも朱熹思想の研究は、資料全体からその骨格を把握し、それで各用例をどこまで説明できるかを検証し、またそこから先に把握した骨格の妥当性を検証するといったフィードバックを繰り返さなければならないのである。
更に朱熹の思想を扱う場合には、一つ大きな問題がある。それはこの思想が聖人を目指して修養する人間にとって意味を持つ思想であることである。たとえば朱熹が湖南学から脱却し一応の定説を四十歳で確立したのは、湖南学の説く已発中心の修養を実修していてその効果に疑問を持ったということが大きかった。もちろんそれに対する理論付けも行っているのだが、実修体験がなくてはその理論の持つ説得力も半減する。このような体得を前提とした思想をどのように扱うのかという問題もつきまとってくる。また後世の朱子学の問題設定は、あくまでもそれがなされた時代のものであって、必ずしも朱熹自身の問題意識を反映していないことにも注意すべきである。本書ではこの件も随所に論じた。……筆者は今までそれなりの数の朱熹についての論文を書いてきた。……本書はこれらを解体し再構成し、さらに新たにかなりの部分を補筆して成った。内容的には既発表の論文がもとになっているとはいえ、実際には書き下ろしといってよいものである。単なる論文集ではないつもりなので、関心を持って下さった読者は、通読のうえ筆者が描いた朱熹の思想体系を吟味していただければ幸いである。
The Marriage of Philology and Scepticism 豆瓣
作者: Gian Mario Cao (ed.) / Anthony Grafton (ed.) 出版社: Warburg Institute 2019 - 11
This volume, containing the revised and expanded versions of eight papers originally presented at a workshop held at the Warburg Institute in June 2012, addresses the question of uncertainty in early modern scholarship and thought. This and other related concepts conventionally assigned to the sceptical tradition are identified and explored in the activity of scholars and editors, whose varying degree of philosophical awareness does not detract from the significance of their ways of conceiving, or coping with, textual uncertainty. The methods of the history of ideas and of classical scholarship are combined in an effort to bring out the methodological assumptions of specific philological projects, editorial strategies and technical devices, as well as to track their possible overlap and interplay with patterns of thought revolving around notions such as uncertainty and conjectural knowledge. The eight papers confront an array of problems, texts, scholars and intellectual contexts, from introductory assessments of the nature of Greek scepticism, particularly in its relation to ancient grammar and medieval thought, to in-depth analyses of the semantic family of uncertainty, as well as of the notion of divination; from case studies of the textual transmission, and relevant editorial problems, of Seneca and Lucretius, to explorations of larger debates in the area of biblical philology, with special attention paid to key figures such as Patrick Young, Richard Bentley and Anthony Collins.
目加田誠「北平日記」 1930年代北京における日中学術交流 豆瓣
作者: 目加田 誠 出版社: 中国書店 2019 - 6
2012年夏、大野城市で始められていた目加田家蔵書の保存・整理作業中に8冊の糸綴じの小冊子が発見された。「北平日記」と楷書でタイトルが書かれた冊子は、家族にもその存在を秘密にしていた北京留学時期(1933年10月~1935年3月)の日記で、一流の学者・文化人との交流が克明に記されていた。
本書はその「北平日記」を翻刻し、詳細な注釈を施したものである。さらに、目加田家のアルバムから当時の写真や資料を配した。
2019年9月17日 已读
日记还是比较简略的,逛书店买书看书听戏旅游学汉语上课,名角的戏看了不少,当年买的不少学术名著还都是初版新东西(没有狂买书就没有现在的目加田文库了),交游的又多学界名流,这样的留学生活还是舒服的。到中国成了红迷,买了胡老板的亚东本之后一直在读《红楼梦》,还和俞平伯会面谈红和诗词。整理上,因为目加田用的是くずし字,肯定有难度。有一点我挺关注,日记的行文里出现了“抬がれて帰る”、“喫茶店にて息ひ”这类夹汉语的表达和大量汉语词汇,让我看到了近代语言交流的另一侧,而且目加田也是拟过年号的名学者,不过未知他其他作品是否有此情况。
第一次读注释那么详尽的整理本日记,有些可能是因为日本人不熟悉所以加注,而有些注释则下了功夫,还有以日记证日记,虽然还能补充。注释出于众手,未全统一,单我所见的重复注释就有9处。
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