日本战国
影武者 (1980) TMDB 豆瓣 IMDb Bangumi 维基数据
影武者
9.0 (370 个评分) 导演: 黑泽明 演员: 仲代达矢 / 山崎努
其它标题: 影子武士 / Kagemusha
日本战国时代三雄之首的武田信玄(仲代达矢饰),号称“甲斐之虎”。他的信条是“疾如风,徐如林,侵略如火,不动如山”。当武田信玄包围德川军的野田城,即将直取京都完成霸业时,他被敌人的狙击冷枪打中,重伤濒死。临死前,他留下遗言要部下隐瞒自己死讯三年。先前弟弟武田信廉(山崎努饰)找到的替身(仲代达矢饰),原为窃贼的他面貌和信玄酷似,即日本人所说的“影子武士”,担当起了重任。
就这样,在武田信廉一旁的支持辅助下,影子武士从贼性未改到被武田家的大义之举所感动,尽心尽力履行职责,他令武田家人及敌人坚信他就是信玄本人。然而,三年将至,意外之事发生,影子武士被揭露,他被赶走,而武田家的气数也将尽……
敌在本能寺 特别篇 (2007) 豆瓣
敵は本能寺にありSP
导演: 三树晴彦 演员: 市川染五郎 / 释由美子
其它标题: 敵は本能寺にありSP
原作:加藤廣
脚本:金子成人
監督:三村晴彦
音楽:栗山和樹
美術監修:西岡善信
殺陣:宇仁貫三
特殊メイク監修:江川悦子
企画協力:アァベェベェ、アオイコーポレーション
プロデュース:五十嵐文郎(チーフ) 内山聖子 武田功 中嶋等
製作協力:松竹京都映画
製作:tv asahi 松竹株式会社
CAST
明智左馬助:市川染五郎
織田信長:玉木宏
綸:釈由美子
鉢屋晴久:平田満
茜:芦名星
斎藤利三:田宮五郎
近衛前久:柄本明
羽柴秀吉:竹中直人
清玉上人:岸部一徳
多志:浅野ゆう子
狩野永徳:藤田まこと
徳川家康:椎名桔平
明智光秀:中村梅雀
森蘭丸:本田大善
本作是去年播出的『信长之棺』的完结篇,由加藤广所著的『明智左马助之恋』的改编SP,原作是围绕织田信长遗骸所展开的三部作『秀吉之枷』、『信长之棺』的第三部作品。
这是以日本历史上最大的谜团之一【本能寺之变】的直接目击者明智一族的角度所叙述的故事。
风林火山 第一季 (2007) 豆瓣 TMDB
風林火山 Season 1 所属 电视剧集: 风林火山
8.0 (10 个评分) 导演: 清水一彦 演员: 内野圣阳 / 市川猿之助
【简 介】:
武田信玄是一位位于战国时代正中央走过的大名。在这场战乱中,以武田信玄,上杉谦信,织田信长,德川家康,今川义元等大名为了天下而争霸战斗的故事。
大河剧是日本NHK电视台每年1部的大型历史连续剧,以豪华的制作阵容和顶级明星的出演而备受瞩目。2005的大河剧是泷泽秀明主演的《义经》,2006年的大河剧是仲间由纪惠主演的《功名如辻》。
日本NHK电视台9月5日正式宣布,该台2007年的大河剧将拍摄日本战国时期武田世家故事《风林火山》。
《风林火山》改编自日本著名小说家井上靖的同名历史小说,讲述了日本战国时期雄踞一方的甲州霸主武田信玄及其军师山本勘助的故事,展现了一段关于权力、梦想、爱恨与战乱错综纠葛的历史片段。
报道说,2007年适逢井上靖诞辰100周年,为了纪念这位日本著名小说家,NHK电视台特决定拍摄该剧。《风林火山》也将成为自1969年的《天与地》、1988年的《武田信玄》后,NHK第3度拍摄的关于武田世家的大河剧。
【剧情简介】:
「风林火山」原作小说于昭和30年(1955年)発表。2007 年是其作者井上靖生诞100 年。
为纪念这位著名文学家而拍摄。该剧也是NHK大河剧历史上第三次把战国武田家搬上荧幕。戦国时代乱世、最强军団甲州武田军。其军旗为「风林火山」。这是由古代中国的军略家・孙子的四如真言为基础制作的。武田军孤高之军师·山本勘助,勘助为武田信玄实现霸业倾其一生,最后在川中岛大合戦战死。梦想与野望、爱与憎、阴谋与阳谋。尽在NHK2007大河剧第46作「风林火山」。
葵 德川三代 (2000) 豆瓣
葵 徳川三代
9.4 (11 个评分) 导演: 重光亨彦 演员: 津川雅彦 / 西田敏行
葵 德川三代是日本放送协会|NHK在2000年年制作播放的第39部NHK大河剧,播放期间是2000年1月9日 - 12月17日。
本剧故事是从关原之战之前开始说起,以德川家康、德川秀忠、德川家光祖孙三代为主角,描述在德川幕府成立过程中,丰臣家如何灭亡,以及之後德川家与朝廷之间的关系。前半部可以说是与日本战国相关的戏码,而後半部则是以家庭、政治为主的戏剧。
第一集全集在演出关原之战当天的情形,而在二到十三集则是回溯关原之战的过程。剧中以中村梅雀饰演的德川光国当解说旁白,叙述其祖的故事。全剧采高画质播出,也使用了许多CG效果。
本剧可谓是一部相当遵照史实演出的历史剧,采用的主角演员也绝大部份是实力派资深演员。但是因为演员年纪实在太大,尽管演技精湛,却也造成一般观众对此诟病。
独眼龙政宗 (1987) 豆瓣
独眼竜政宗
导演: 中村克史 演员: 渡边谦 / 樱田淳子
Disc1
第一回「誕生」
1月4日放送
永禄八年(1565)、伊達家の当主・輝宗に最上義守の娘・義姫が嫁いできた。義姫は、東館に迎えられ、お東の方と呼ばれた。永禄十年(1567)八月三日、嫡男が誕生し、輝宗は「梵天丸」と命名。梵天丸は五歳の時、天然痘に倒れ右目の光を失ってしまう。
第二回「不動明王」
1月11日放送
輝宗は、名僧・虎哉宗乙を梵天丸の学問の師に招く。ある日、梵天丸は傅役・喜多と訪れた寺で、不動明王はなぜ怖い顔をしているのかと訊ねた。そこで虎哉から、外見と異なり慈悲深い仏であると聞き、「梵天丸もかくありたい」と呟いた。
第三回「親ごころ」
1月18日放送
輝宗は、時の流れを見つめた外交的手腕を発揮していた。天正二年(1574)正月、最上家で内乱が起こる。父や実の兄弟の争いに、お東は心を痛めた。そして、さらに心を傷つけられることが起る。家臣たちが、喜多を輝宗の側室にしようと画策したのだ…。
第四回「元服」
1月25日放送
天正四年(1576)、梵天丸の弟・竺丸が誕生。お東は、輝宗に自分の乳で育てたいと言い、竺丸を寵愛した。天正五年(1577)十一月十五日、梵天丸の元服のxが執り行われ、名を藤次郎政宗と改める。お東から水晶の数珠を贈られ、母だと思い大切にすると誓う。
Disc2
第五回「愛姫」
2月1日放送
天正七年(1579)十一月、三春の城主・田村清顕の息女・愛姫が藤次郎のもとに嫁いできた。藤次郎は数え年十三歳、愛姫は十一歳。愛姫の傅役となった喜多は、愛姫を伊達の水になじませようと心を砕くが、田村家から同行してきた侍女が、姫への接触を拒み続ける。
第六回「侍女成敗」
2月8日放送
田村家の侍女・村岡が「藤次郎君には、ことのほか凡愚にて主君の器にあらず…」と記した密書を三春に向けて放った。その密書を奪還した喜多が村岡らを問い詰めると、突然、侍女が喜多に襲いかかった。喜多は身をかわし、村岡たちを斬り捨てた。
第七回「初陣」
2月15日放送
伊達家の護神に戦勝祈願をし相馬に向かった藤次郎は、小十郎らと勇敢に戦うが、初陣首を狙われかねない無謀な戦いに、輝宗から「大将は最後まで生きのびるのがつとめ、ときに臆病でなくてはならない」と厳しく諭される。この年の六月、織田信長が死去した。
第八回「若武者」
2月22日放送
本能寺の変は、東北の大名たちにも衝撃を与えた。若武者・藤次郎は、「信長のように生きてみたい」と天下への夢を見る。その頃、譜代の家臣たちがお東と結びつき不穏な動きを見せた。輝宗は、お家分裂の危機に隠居を決意。藤次郎に家督を継がせた。
Disc 3
第九回「野望」
3月1日放送
天正十二年(1584)十月、藤次郎政宗は伊達家十七代当主となる。側衆には伊達成実、片倉小十郎、鬼庭綱元らが選ばれ、家中の若返りが図られた。そして若干十九歳の政宗は、東北で最大最強の芦名に敢然と戦いを挑んだ。政宗の器量を問う合戦であった。
第十回「男の器量」
3月8日放送
天正十三年(1585)五月、伊達軍は会津国境の檜原峠から芦名領へ攻め入るが、敵城・大塩城の守備は固く、戦況はおぼつかなかった。小十郎の進言で、政宗は兵を米沢へ一旦引き揚げた。八月、政宗は田村家の協力も得て、再び小浜城の大内討伐に向った…。
第十一回「八百人斬り」
3月15日放送
戦いの火蓋は、小手森城で切って落とされた。大内定綱は会津と二本松に援軍を求め、持久戦の構えであったが、成実の働きで戦局は一転、小手森城は陥落。定綱が逃げたと知った政宗は激怒。籠城していた八百人の大内勢を皆殺しにして震え上がらせた。
第十二回「輝宗無残」
3月22日放送
父・輝宗は、政宗に二本松の畠山義継との和睦を強く勧めた。政宗は、侘びを不服とし、領土の大半と一子を人質に差し出せと言い渡す。義継はお礼言上と称して政宗に面会を求めるが、拒否されると宮ノ森城の輝宗に拝謁を求め、心を許した輝宗を人質にとって二本松に連れ去ろうとした…。
Disc 4
第十三回「人取橋」
3月29日放送
政宗は、父の葬儀を盛大に執り行った。そんな折、二本松城に異変が起きる。佐竹、芦名ら南奥州の大名が二本松城救援のため三万の連合軍を組織。政宗は観音堂山に陣を取り、人取橋で連合軍と対峙。この伊達の存亡をかけた戦いに、政宗は勝利する。
第十四回「勝ち名乗り」
4月5日放送
三万の連合軍を撃退した十九歳の政宗も、冬の二本松城には手も足も出なかった。政宗は、物資補給路を遮断。七月十六日、遂に二本松城を無血開城させる。塩松郡と二本松領を手中にした政宗は、仙道筋の全てを支配。初めての領土仕置きを行った。
第十五回「めごとねこ」
4月12日放送
天正十四年(1586)十月、愛姫の父・田村清顕が死去。愛姫の子を後継ぎに迎える約束の田村家は、権勢を夫人が握り、相馬に接近。愛姫は自分が懐妊しないのが原因と悩む。そんな折、家臣・飯坂宗康の娘「ねこ」が、政宗の最初の側室となる。
第十六回「南北の敵」
4月19日放送
天正十五年(1587)、春。米沢の北、長井ノ庄で内乱が起った。政宗は直ちに鮎貝城に兵を出し、謀反を封じた。続いて大崎で内乱が起き、政宗は大崎への出兵を決行するが、家臣・黒川月舟斎の裏切りで軍勢は総崩れとなり、南北の脅威にさらされる。
Disc 5
第十七回「宮仕え」
4月26日放送
泉田重光が人質となり山形城に預けられた。その頃、成実が大内定綱の軍勢を打ち破る。ところが定綱は伊達に奉公したいと、政宗に拝謁。政宗は、定綱を召し抱える。天正十六年(1588)五月、政宗は小手森城を攻略し石川弾正を追放。田村領へ進軍し仙道を南下した。
第十八回「お東、居座る」
5月3日放送
政宗は、母・お東に最上との仲介を求めた。だが和睦の交渉はこじれた。両軍は国境の中山峠をはさんで睨みあう。その峠に、甲冑に身を固めたお東が和睦を求め座り込んだ。義光は上杉勢が領内に攻め入ったことで和睦し、泉田重光は解放された。
第十九回「大移動」
5月10日放送
政宗は奥州平定を急いだ。芦名討伐に向け、まず相馬を打ち砕くと、成実と小十郎隊を猪苗代へ進軍させ、本隊は南の芦名城へ進撃。しかし、突然進路を変え、六月四日、一万五千の大軍を率いて猪苗代湖の東岸を北上し、成実らと合流した。
第二十回「決戦、摺上原」
5月17日放送
天正十七年(1589)六月五日、摺上原で政宗が率いる伊達軍と芦名軍が激突した。芦名軍は、家内の内紛から足並みが揃わず、戦いは伊達軍の圧勝で終わった。奥州の名門・芦名家は滅亡。この時から昇り竜の如き勢いの政宗は、独眼竜政宗と呼ばれた。
Disc 6
第二十一回「修羅の母」
5月24日放送
天正十八年(1590)の初め、秀吉は北条氏討伐の軍令を発し、政宗にも参陣を促した。これを政宗は拒絶。お家安泰を願うお東と老臣たちは、政宗の蟄居を画策。お東は、義光に「政宗の首を関白に献上いたすのじゃ」と、政宗暗殺を強く勧められ苦悩する…。
第二十二回「弟を斬る」
5月31日放送
政宗は遂に参陣を決意、あいさつにお東をたずねた。祝いの膳に舌鼓を打つが、突然に吐き気をともなってのた打ち回る。毒がもられていたのだ…。一命を取りとめた政宗は、苦悩の末、小次郎を謀反者として成敗。お東は、義光のもとに落ち延びた。
第二十三回「小田原へ」
6月7日放送
政宗が最上の動きを牽制し、越後から信濃路をたどり、小田原を目指した時、すでに秀吉は小田原城を二十二万の軍勢で包囲し終えていた。小田原参陣に遅れた政宗は、白かたびらに水引の元結、まさに死装束で秀吉のもとへ参上するのであった…。
第二十四回「天下人」
6月14日放送
秀吉は、政宗の「打首覚悟で参上しました!」との言葉に、「運のよい奴よ…」と、満足そうに微笑んだ。かくして、政宗には何のおとがめもなかったが、会津領土を失うことに。政宗は「秀吉は五十四歳、俺は二十四歳…」と、時節の到来を待つ覚悟をする。
Disc 7
第二十五回「人質、めご」
6月21日放送
秀吉は仕置きを行うと同時に、検地、刀狩りを実施。政宗には、愛姫を人質として差し出すよう命じる。愛姫は「伊達家の安泰を…」と、喜多を伴なって上洛。この頃、東北では一揆が勃発。秀吉は「蒲生氏郷とともに一揆を鎮圧せよ」と政宗に命じた。
第二十六回「絶体絶命」
6月28日放送
伊達の家臣・須田伯耆が寝返って、政宗が一揆勢に与えた直筆を氏郷に持参。政宗謀反の報告は、秀吉のもとにも届いた。政宗は秀吉に上洛を命じられ京へ旅立つ。今度こそは首をはねられる…、関白・秀吉の強大な権力の前に、政宗は絶体絶命であった。
第二十七回「黄金の十字架」
7月5日放送
清洲城で秀吉に拝謁した政宗は「密書に記された鶺鴒をかたどった花押には眼孔がない。本物ならば目に針の穴をあけてある」と申し開きをする。秀吉は、なるほど…政宗逆心の疑いは晴れた、と許す。上洛の命を受けた政宗は白装束に金の磔柱をかついで、京を行進して参上。秀吉は上機嫌で迎えた。
Disc 8
第二十八回「知恵くらべ」
7月12日放送
天正十九年(1591)、政宗は、朝廷から従四位下の官位を授かる。しかし、会津の所領は召し上げとされた。再び勃発した大崎、葛西地方の一揆討伐に向かう政宗に、家臣らは、これぞ天下を取る好機と迫る。政宗と秀吉の知恵くらべが始まる…。
第二十九回「左遷」
7月19日放送
政宗は、一揆を完全鎮圧するが、大崎、葛西への国替えを命じられる。家康は、新しい領地は、東には海が開け、西には豊かな金山がある。富は海からも山からも無尽蔵だ。決して左遷ではない、と政宗を諭して、岩手沢城を居城とするように勧めた。
第三十回「伊達者」
7月26日放送
文禄元年(1592)、政宗は朝鮮出陣の命を受け、軍勢を率いて上洛。九州勢から朝鮮遠征は始まった。政宗は、三千の兵を三万に見せようと、伊達勢の軍装を飾り立てた。その絢爛華麗ないでたちに、出陣を見送る町衆たちは「これぞ伊達者よ」と賛辞した…。
第三十一回「子宝」
8月2日放送
伊達勢は、肥前・名護屋城での足止めが長引いた。文禄二年(1593)四月、釜山に上陸するが、遠征軍は各地で敗北を喫していた。伊達勢も苦しく壮烈な戦闘が続いた。その頃、淀君が男子を産む。秀吉は鶴松の生まれ変りと喜び、遠征軍の撤退を決定する。
Disc 9
第三十二回「秀次失脚」
8月9日放送
政宗は、京で愛姫や娘・五郎八(いろは)と過ごしていた。文禄四年(1595)二月、蒲生氏郷が毒殺された。奥州三将を頼る秀次と親交を深めていたことが原因と噂された。三成のざん言に惑わされた秀吉は、秀次を高野山へ蟄居、最上義光の末娘・駒姫を処刑してしまう。
第三十三回「濡れ衣」
8月16日放送
秀次事件で義光は謹慎、浅野長政は蟄居、政宗にも上洛の命が下った。政宗は、濡れ衣だと申し開きをするが、流罪の沙汰が下る。政宗は、無念の思いを愛姫に伝えた。そんなある夜、徳川屋敷の門前に立てられた奇怪な高札で、事態は一転する…。
第三十四回「太閤の死」
8月23日放送
慶長元年(1596)十二月、伏見城の城普請が完成。政宗が従四位下右近衛権少将に叙せられた祝宴の席上で、秀吉は倒れ病の床につく。三成が秀吉亡き後の布石を打つ中、秀吉は秀頼への力添えを政宗に頼んだ。慶長三年(1598)夏、家康と利家に後を託し死去する。
第三十五回「成実失踪」
8月30日放送
秀吉の死後、三成と家康が、奥羽の盟主・政宗をめぐって天下の綱引きを始めた。そんな中、出奔していた成実が帰参の勧告に応じず再び失踪。政宗は、成実の居城の召し上げを決断。しかし、成実の妻子は城の引き渡しを拒んで自害してしまう…。
Disc 10
第三十六回「天下分け目」
9月6日放送
事実上、最高権力者となった家康は、上杉討伐を決断。先陣を命じられた政宗は、千代(のちの仙台)に近い北ノ目城を本陣とし、上杉勢への猛攻撃を開始。京では、三成が反徳川勢を結集して挙兵…。天下分け目の関ヶ原の戦いが始まろうとしていた。
第三十七回「幻の百万石」
9月13日放送
上杉勢と戦っていた政宗が、東軍の勝利を知ったのは、関ヶ原の戦いが終わって半月後であった。三成が処刑された頃、奥羽の地でさらなる戦いを繰りひろげていた政宗は、家康と交わした百万石の念書を胸に、新しい城普請の夢を広げていた…。
第三十八回「仙台築城」
9月20日放送
慶長六年(1601)十月、伏見城に上洛した政宗は、帰国を固く禁じられた。慶長七年(1602)、家康は徳川体制を天下に誇示するために、江戸城の周りに大名屋敷をつくり始めた。夢にまで見た千代城を完成させた政宗だが、家康の命に服して江戸に下ることになる。
第三十九回「五郎八、嫁ぐ」
9月27日放送
政宗は、千代を仙台と改めた。山形の最上家の悲運とは対照的に、伊達家では、五郎八と忠輝の婚礼。そして家康の一姫と虎菊丸の縁組みと興隆を極めた。政宗は、江戸では積極的に儀礼交換や外交につとめ、仙台では国作りとその経営に没頭した。
Disc 11
第四十回「大船造り」
10月4日放送
政宗は、宣教師ルイス・ソテロに仙台での布教を認める。狙いは、南蛮との交易であった。そんなある日、忠輝の家老・大久保長安から、天主教の入信帳という妖しげな連判状を見せられる…。政宗は家康から南蛮船建造の許しを得るが、連判状が露見する。
第四十一回「海外雄飛」
10月11日放送
南蛮船が完成し、政宗は仙台城で南蛮使節団を発表。乗組員は、ソテロや支倉常長ら総勢百八十六名。常長には、イスパニア艦隊を大坂に呼び寄せる密命が託された。慶長十八年(1613)九月、サン・ファン・バウティスタ号は政宗の夢を乗せて月ノ浦を出港した。
第四十二回「大坂攻め」
10月18日放送
慶長十九年(1614)、政宗は、忠輝の越後高田城の城普請を見守り、家康の信用回復に努めていた。その頃、真田幸村ら武闘派が主導権を握った豊臣方が、家康の画策にのって戦闘態勢に入った…。十一月十九日、遂に大坂冬の陣の火蓋が切って落とされた。
第四十三回「ねこ、宇和島へ」
10月25日放送
秀頼と淀君は、家康の講和条件を受け入れた。徳川方は、大坂城の堀を埋め始めた。家康は政宗の長男・秀宗を十万石の大名に取り立て、伊予宇和島を所領配分した。猫御前は不服であったが、宇和島藩十万石の創立のためと、海路、宇和島に向かう。
Disc 12
第四十四回「大坂夏の陣」
11月1日放送
家康は秀頼に伊勢への転封を命じた。秀頼はこれを拒み、再び決戦を辞さぬ構えを見せた。徳川勢は、堺を手中に納め大坂への武器弾薬の補給路を断った。淀君は徳川勢が三万五千の大軍と知り、和睦の方法を探るが、時は遅く大坂夏の陣が始まった。
第四十五回「ふたりの父」
11月8日放送
政宗の諌言で大御所のご機嫌伺いに赴いた忠輝は、父・家康に不満の数々をぶつけた。政宗の力添えで、忠輝は禁中に参内し、しかるべき勲位を授かることになるが、この大事を忠輝は破ってしまう。家康に婿の父として詫びに赴いた政宗であったが…。
第四十六回「離縁状」
11月15日放送
もはや戦国の世は終わった。白石城の片倉小十郎景綱は、伊達家の将来を案じながらこの世を去った。その頃、江戸・伊達屋敷の五郎八は、夫の命を救う術として、忠輝との離別を覚悟する。それは、伊達と松平を切り離そうとする幕府の狙いでもあった…。
第四十七回「天下の副将軍」
11月22日日放送
忠輝が手討ち覚悟で父・家康を見舞いに駿府へ赴く。家康は、会いたくても会えぬと涙を浮かべた。そして政宗に「天下の副将軍として、秀忠を助けて欲しい」と頼み、元和二年(1616)四月十七日、眠るようにこの世を去った。政宗は副将軍として采配を振るうことになる。
Disc 13
第四十八回「伊達流へそ曲がり」
11月29日放送
元和二年(1616)夏、幕府の仙台藩討伐の動きがある中、将軍・秀忠の姪・振姫と忠宗の縁組み話が舞い込む。しかし政宗は、振姫では不服と開き直る。秀忠は振姫を養女とした。政宗は「これぞ伊達流へそ曲がり術の極意じゃ」と、ご機嫌であった…。
第四十九回「母恋い」
12月6日放送
東北の名門最上家に、幕府は改易の断を下し、山形城召し上げの名代を政宗に命じた。成実の率いる大軍によって、引き渡しは何の障害もなく行われた。政宗は、母・保春院を仙台に引き取ろうとするが、最上家の復興を願う保春院は仙台入りを拒む。
最終回「大往生」
12月13日放送
副将軍・政宗の地位は揺るぎないものとなった。寛永二年(1625)、忠宗に家督を譲り、人生を享楽する日々を送る。しかし、身体は病にむしばまれ、寛永十三年(1636)五月二十四日、「画像にも木像にも両眼を入れさせよ…せめて来世では愛を両眼で見たい」と言い残して、江戸・伊達屋敷で大往生を遂げる。享年七十歳であった。
武田信玄 (1988) 豆瓣
7.2 (5 个评分) 导演: 重光亨彦 演员: 中井贵一 / 大地真央
《武田信玄》是NHK1988年(昭和63年)播放的大河剧。第26代作品。播放期间是1988年1月10日 - 12月18日,全50回。平均收视率39.2%、最高收视率49.2%。主演是中井贵一。
剧情概要
战国时代,四面被山环绕的甲斐国,拥有尽其所能出谋划策的家臣团,不断的扩展领土,率领“战国最强的骑兵团”,连织田信长、德川家康都畏惧的人——武田信玄。追放父亲,逼死亲子,为这样的家族和亲人的悲剧关系感到苦恼的同时,以独特的方法平定了信浓,与越后的上杉谦信在川中岛多次死斗。以“人为城,人为石垣,人为护城河,对己方怜悯,对敌人仇视”为信条,在战国时代顽强生存下去的信玄的一生,以恢弘的战斗场面和豪华的演员阵容描绘的战国画面。
真田幸村 豆瓣
作者: [日] 柴田炼三郎 译者: 泰明 / 金艺 重庆出版社 2014 - 2
《真田幸村》他们是日本战国史上最神秘的忍者集团,身负绝技聚集在真田幸村麾下。他们甘愿隐姓埋名,被历史隐藏,被世人遗忘,唯余身影活跃在每一位野心家身侧,于暗处的舞台左右着天下前进的方向。
天正十年(1582年)三月,天目山麓田野村一间小屋内,武田信玄之子胜赖切腹自尽,武田家自此灭亡。十五年后,年轻的忍者猿飞佐助怀揣着身世之谜,拜别师傅户泽白云斋,只身走向广阔未知的天地。
元和元年(1615年)四月,为了给摇摇欲坠的丰臣家最后一击,德川家康挥师西进,直指京都。而身在大坂城内的真田幸村也在此时向包括猿飞佐助在内的十勇士发出了一道足以颠覆全国的密令……
生若浮萍,死如芥子,怀抱至高忍道在战国末世中绚丽绽放!
2023年11月3日 已读
考虑到成书于五六十年代,应该说还是有一点实验性的,为后来各种戏说战国开启了灵感,然しーー 柴田你可真是个屮妈+噶牛子狂魔
日式武侠 日本战国 武侠
日本名城解剖书 豆瓣
作者: 米泽贵纪 / 中川武 译者: 史诗 南海出版公司 2016 - 10
《日本名城解剖书》:跟随书中的建筑手绘走遍日式城郭的各个角落,你会感受到武将们设计城的智慧与热情,想象人们建造石垣、土垒时的活力,钦佩木匠们精雕细琢的用心。
城是国家、地区或封建共同体强烈生存意志的体现,这里有过战争、繁荣,最后却逃脱不了废弃的命运。透过这一特定历史阶段的产物,可以窥见各领主的人格、各地的历史文化与祥和的市井风情。
城是日式励志故事的写照。每个人都有自己的梦想,即便不能做到“一国一城”独当一面,但只要经历过不为人知的艰辛,理解了城的真髓,便会爱上城。