六朝書翰文の研究 豆瓣
作者:
福井佳夫
出版社:
汲古書院
2020
- 3
【本書より】(抜粋)
本書は書翰文、つまり用事などをしるして、他人におくる手紙の文章について論じたものである。
ふつう、書翰はなんらかの具体的な用件があって、それを相手に伝達するためにかかれる。それゆえ、用件がつたわりさえすれば、その書翰は用ずみとなり、やがては廃棄されることだろう。大事件にかかわるならしらず、通常の用件であれば、用ずみの書翰が珍重され、後世につたわってゆくことはありえない。それが書翰文の宿命であり、だからこそ実用文とみなされてきたのである。ふるい中国でも、それはおなじだった。
ところが、本書がとりあげる六朝期になると、具体的な用件にとぼしいかわりに、むやみに文飾がおおい書翰文が発生してきた。賦のごとき彫琢をほどこした書翰、華麗な山水の描写で終始した書翰などがそれだ。それらは、用件のとぼしさに反比例するかのように、修辞をこらした美文でかかれ、文学性をたかめている。そして受取人以外の人びとからも、よまれることを意識しており、いわば実用文とはことなる鑑賞用書翰文だといってよかろう。
六朝文人たちは、なぜこうした鑑賞用書翰文をかいたのか。それは、当時の文章美文化現象の一環だったといってよいが、直接的には自己の文才を顕示し、それによって立身の道をきりひらこうとしたからだろう。それゆえ、彼らは自分がかいた鑑賞用書翰文を、よき読者(文壇の名伯楽や、高位高官にツテのある友人)によんでもらうことを欲した。そうしたよき読者が、称賛してくれることによって、自分の才腕が世にしられるのを期待したのである。
こうした書翰の文章は、他ジャンルよりも立身に有利だった。当時の主要な文学ジャンルは五言詩だったが、これは貴顕が主催する文会に出席できなければ、そもそも公表することさえできなかった。さらに実用に供する碑や誄の文も、遺族から委嘱されねばかく機会もない。その点、送付すればよんでもらえる(すくなくとも、その可能性はある)書翰文は、寒門文人や野心ある若者が立身のきっかけをつかむには、簡便で都合のよい文学ジャンルであった。そうした事情もあって、六朝では書翰文、とくに鑑賞用の書翰文が盛行し、結果的に、文学的にも価値ある名篇が輩出してきたのである。
こうした鑑賞用書翰文について、本書では、大要つぎのようなことを指摘した。
○三段構成(「①時候のあいさつ、②相手のようす、③自分の近況」という構成)を脳裏におき、その構成を意識しながらつづっている。
○みずからをかざり、気どったような字句がおおい。書翰中に「私は山水の日々を満喫しています」とあるときは、おおく「浪々の身からひきあげてほしい(=就職を世話してほしい)」の意を寓している。また、書翰で「隠遁したい」とのべていても、貴顕から声をかけられるとサッと出仕することもめずらしくない。
○行文の文飾ぶりと内容の虚構レベルとは、おおむね比例している。それゆえ文飾おおき書翰は、内容的にも虚構(気どりや誇張)がふくまれるとかんがえてよい。そうした書翰をよむ場合は、慎重に裏をよんでゆくよう留意せねばならない。
本書は、こうした鑑賞用書翰文をふくむ六朝の書翰文に対し、行文や内容の特徴、虚実の見わけかた、書式、読解のしかたなど、なるべく幅ひろい方面から論じたものである。
第一章「作家の簡潔な注釈たりうるか」では序論もかねて、六朝までの書翰の歴史をざっとみわたし、また六朝書翰文の虚構性を指摘しておいた。
第二章以後は時代順にならべた。まず第二章「友と清宴をたのしもう」と第三章「書翰の名手はわしじゃ」は、いくぶんか実用性をのこした、曹丕と応璩の書翰文を論じたものである。第四章「二流の書翰で失敬」でとりあげた王羲之書翰も、実用的な性格がこいものだ。とくに羲之の尺牘は仲間うちの存問や連絡に徹したもので、鑑賞用書翰とは対照的な性格を有したものである。
第五章「書翰は文学であります」においては、六朝特有の鑑賞用書翰として鮑照「登大雷岸与妹書」等をとりあげ、その意義や価値について論じてみた。この章から第十章までは、すべてこの種の鑑賞用書翰について論じたものである。第六章「裏をよまねばならぬぞ」では劉孝儀「北使還与永豊侯書」、第七章「皇太子がお便りします」では蕭統蕭綱兄弟の書翰文、第十章「書翰は気どってかこう」では王褒や呉均らの書翰文を、それぞれとりあげて、鑑賞用書翰の特徴を解明し、またこれらを正確に読解するための注意(裏をよむ)も指摘しておいた。
また第八章「構成は三段できめよう」と第九章「これが書翰のお手本じゃ」は、鑑賞用書翰の書式を考察したものである。無名氏の手になる月儀たる「十二月啓」に依拠しながら、当時の書翰文の書式、すなわち三段構成(①時候のあいさつ、②相手のようす、③自分の近況)について解説をほどこし、さらにその訳注を提示しておいた。
ここまでは魏や南朝の書翰文だったが、のこる二つの章では、北朝でかかれた書翰文をとりあげている。第十一章「母さまにお会いしたい」では北周の宇文護母子の書翰文を考察した。そして、南朝の美文書翰とはいっぷうことなる、切実かつ真摯な書翰文の意義や価値を論じてみた。また第十二章「臣にならぬか」では隋の楊暕「与逸人王貞書」など、為政者が隠者に「私の政に協力してくだされ」とよびかけた招隠書翰をとりあげた。六朝では隠逸に関連した書翰がおおいが、その実態をさぐってみたものである。
本書は書翰文、つまり用事などをしるして、他人におくる手紙の文章について論じたものである。
ふつう、書翰はなんらかの具体的な用件があって、それを相手に伝達するためにかかれる。それゆえ、用件がつたわりさえすれば、その書翰は用ずみとなり、やがては廃棄されることだろう。大事件にかかわるならしらず、通常の用件であれば、用ずみの書翰が珍重され、後世につたわってゆくことはありえない。それが書翰文の宿命であり、だからこそ実用文とみなされてきたのである。ふるい中国でも、それはおなじだった。
ところが、本書がとりあげる六朝期になると、具体的な用件にとぼしいかわりに、むやみに文飾がおおい書翰文が発生してきた。賦のごとき彫琢をほどこした書翰、華麗な山水の描写で終始した書翰などがそれだ。それらは、用件のとぼしさに反比例するかのように、修辞をこらした美文でかかれ、文学性をたかめている。そして受取人以外の人びとからも、よまれることを意識しており、いわば実用文とはことなる鑑賞用書翰文だといってよかろう。
六朝文人たちは、なぜこうした鑑賞用書翰文をかいたのか。それは、当時の文章美文化現象の一環だったといってよいが、直接的には自己の文才を顕示し、それによって立身の道をきりひらこうとしたからだろう。それゆえ、彼らは自分がかいた鑑賞用書翰文を、よき読者(文壇の名伯楽や、高位高官にツテのある友人)によんでもらうことを欲した。そうしたよき読者が、称賛してくれることによって、自分の才腕が世にしられるのを期待したのである。
こうした書翰の文章は、他ジャンルよりも立身に有利だった。当時の主要な文学ジャンルは五言詩だったが、これは貴顕が主催する文会に出席できなければ、そもそも公表することさえできなかった。さらに実用に供する碑や誄の文も、遺族から委嘱されねばかく機会もない。その点、送付すればよんでもらえる(すくなくとも、その可能性はある)書翰文は、寒門文人や野心ある若者が立身のきっかけをつかむには、簡便で都合のよい文学ジャンルであった。そうした事情もあって、六朝では書翰文、とくに鑑賞用の書翰文が盛行し、結果的に、文学的にも価値ある名篇が輩出してきたのである。
こうした鑑賞用書翰文について、本書では、大要つぎのようなことを指摘した。
○三段構成(「①時候のあいさつ、②相手のようす、③自分の近況」という構成)を脳裏におき、その構成を意識しながらつづっている。
○みずからをかざり、気どったような字句がおおい。書翰中に「私は山水の日々を満喫しています」とあるときは、おおく「浪々の身からひきあげてほしい(=就職を世話してほしい)」の意を寓している。また、書翰で「隠遁したい」とのべていても、貴顕から声をかけられるとサッと出仕することもめずらしくない。
○行文の文飾ぶりと内容の虚構レベルとは、おおむね比例している。それゆえ文飾おおき書翰は、内容的にも虚構(気どりや誇張)がふくまれるとかんがえてよい。そうした書翰をよむ場合は、慎重に裏をよんでゆくよう留意せねばならない。
本書は、こうした鑑賞用書翰文をふくむ六朝の書翰文に対し、行文や内容の特徴、虚実の見わけかた、書式、読解のしかたなど、なるべく幅ひろい方面から論じたものである。
第一章「作家の簡潔な注釈たりうるか」では序論もかねて、六朝までの書翰の歴史をざっとみわたし、また六朝書翰文の虚構性を指摘しておいた。
第二章以後は時代順にならべた。まず第二章「友と清宴をたのしもう」と第三章「書翰の名手はわしじゃ」は、いくぶんか実用性をのこした、曹丕と応璩の書翰文を論じたものである。第四章「二流の書翰で失敬」でとりあげた王羲之書翰も、実用的な性格がこいものだ。とくに羲之の尺牘は仲間うちの存問や連絡に徹したもので、鑑賞用書翰とは対照的な性格を有したものである。
第五章「書翰は文学であります」においては、六朝特有の鑑賞用書翰として鮑照「登大雷岸与妹書」等をとりあげ、その意義や価値について論じてみた。この章から第十章までは、すべてこの種の鑑賞用書翰について論じたものである。第六章「裏をよまねばならぬぞ」では劉孝儀「北使還与永豊侯書」、第七章「皇太子がお便りします」では蕭統蕭綱兄弟の書翰文、第十章「書翰は気どってかこう」では王褒や呉均らの書翰文を、それぞれとりあげて、鑑賞用書翰の特徴を解明し、またこれらを正確に読解するための注意(裏をよむ)も指摘しておいた。
また第八章「構成は三段できめよう」と第九章「これが書翰のお手本じゃ」は、鑑賞用書翰の書式を考察したものである。無名氏の手になる月儀たる「十二月啓」に依拠しながら、当時の書翰文の書式、すなわち三段構成(①時候のあいさつ、②相手のようす、③自分の近況)について解説をほどこし、さらにその訳注を提示しておいた。
ここまでは魏や南朝の書翰文だったが、のこる二つの章では、北朝でかかれた書翰文をとりあげている。第十一章「母さまにお会いしたい」では北周の宇文護母子の書翰文を考察した。そして、南朝の美文書翰とはいっぷうことなる、切実かつ真摯な書翰文の意義や価値を論じてみた。また第十二章「臣にならぬか」では隋の楊暕「与逸人王貞書」など、為政者が隠者に「私の政に協力してくだされ」とよびかけた招隠書翰をとりあげた。六朝では隠逸に関連した書翰がおおいが、その実態をさぐってみたものである。