宗教
台湾の法教 豆瓣
作者: 劉枝萬 出版社: 風響社 2019 - 1
華南一帯の民間信仰の基層をなす巫術・法教。
本書は、清末から日本統治初期にかけて勢力のあった閭山(りょざん)教系の一派が相伝した科儀本(儀礼のテキスト)24点の全貌を紹介。さらにその本務である治病・魔除け・加持祈祷に用いる符令(お札)の原本・符式簿を詳細に解読。123件の符令から、法師の奉じる神仙やさまざまな呪法、法壇における儀礼をつまびらかにし、法教の実践を再現。
著者の民間信仰研究の到達点を示す大著。
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本文より
第一章
一 前言
(前略) 法教は道教よりも、いっぱんに低級だとみなされているだけに、その機能はなおさら民衆の日常生活に密着しており、加持祈祷の如き些細な法事すなわち呪法による行事ならば、民家で手軽にやれる便利さがあるから、その伝来は道教よりも早く、漢人の初期移住から、つとに導入されたと考えられる。
事実、客仔師と呼ばれる一派は、清初においてすでに活動がめざましく、弊害をもたらしたことが、地方志に記録されているほどである。各志を綜合すると、法師は法官ともいい、道士ではないが似ており、米卦(米占い)や補運(運勢なおし)などの法術を得意とし、必ず赤鉢巻きをするから紅頭師と称され、また広東潮州の客家人出自が多いため、客仔師とも呼ばれているとある。
そして道士が道教に則り、道服を着て、科儀を行う行為を道場と称するのに対して、法師が紅頭法により、ふだん着のままで赤鉢巻きして、法事を行うことを法壇あるいは法場といって、道教と法教は区別される建前ではあるけれども、清代の地方志にはまた紅頭法事を道士の仕事に取り違えたり、法師を道家の流とか道士みたいなものだという誤認もあるほどだから、民衆にとってはなおさら紛らわしくて、判別が容易ではなく、今日に至ってもなお然りである。(後略)
四 巫術
法教の本質はもとより民間信仰の底層に沈澱した巫術で、古代巫俗の残存にすぎないから、いかに道教が民間信仰に芽生え、ことに天師教は巫術性が強いとはいえ、両者には当然一線が画される。むろん外見も違い、法師は道士の服装を使用できず、ふだん着が原則だが、閭山・普庵・徐甲・嘛呢の諸派は眉と称する冠をかぶり、さらに裙をはく者もあるが、いかなる場合でも、赤布で鉢巻きしたり頭を包んだりするという頭部の固定標識だけは絶対に欠かせず、俗に紅頭仔(頭の赤い者)と呼ばれ、その法術を紅頭法と称するゆえんである。(中略)
しかして法場の科儀・呪法は、名目こそ夥しく伝えられているが、社会の変革によって需要がなくなり、伝承が失われて名称だけ残ったのもある。いっぽう法教の担い手としては、専業法師のほか、道士も無視できない。道士は道法二門兼修で、紅頭法をも心得ており、法師の業務も行っているので、彼等によって伝承されている法術ないし科儀もある。(後略)
第二章 台湾の法教資料――閭山教科儀本(劉枝萬述/石井昌子編)
一 資料の概要
(前略)資料は科儀本と掛図の二種類である。掛図は法教の儀礼を行う際に法場に掛ける神像や十王図などである。使用を重ねるうちに線香で煤けたり破損してゆく、一種の消耗品であるが、劉博士所蔵のものはいずれも保存状態が良く、絵柄も綺麗なものばかりの上質のコレクションとなっている。今回はこの中から法教との関係を示す内容のものを六点選んでカラー口絵に掲載することとした。(中略)
次に科儀本だが、全体で二四点あり、記された筆写年代からは、一八一六(嘉慶二一)年から一九二二(大正一一)年までが確認される。劉博士によれば、以下の由来と価値を有する資料である。
新竹県の客仔師の一派のものと思われるが、現在では詳細は不明である。この一派は「悪霊の辟邪(魔よけ)」を得意とし清朝時代に勢力があったが日本時代になると急速に消滅してしまう。総督府の政策と近代医療の普及のためと考えられる。
資料群としては、次の点において価値が高い。
科儀本は法師が儀礼に際して参照するテキストなので、元来消耗品である。また、師弟相伝とされ弟子がある段階で筆写するもので、容易に外部に示されるものではない。この資料は一つの壇のもので、まとまって入手したことから出所が明らかなことに加え、その壇の行っていた儀礼内容を伝える意味で価値がある。
また、達筆で誤記のないものが多く含まれることや、テキスト中に「廣顕壇」「澎呂石興信記」「石興」などと押印されているものが多いことから、この壇に勢力があり、羽振りがよかったことがわかる。その勢いは清末から日本時代初期までで、法教の活躍のはなやかな最後の時代と重なる。つまり、当時の法教の本流に近い教壇のものであった可能性が高く、資料としての価値がある。保存状態がよいのは活動が急速に廃れて忘れられていたからであろう。
二 科儀本の分類と配列
一群の資料としての価値は以上の通りだが、それらを資料として掲示するためには、分類と配列をしなければならない。しかし、各テキストについて詳細に検討していくには、儀礼の実際の再構成など周辺調査を含めての膨大な作業が必要なので、ここでは、タイトルとテキストから知られる内容により、およその分類・配列をするにとどめておくことにする。
劉博士の挙げられた原則としては、まず陽(加持祈祷のための請神科)を先とし、陰(死葬儀礼)を後とすること、また、儀礼においては、神を迎え(請神)、神の力を借りて術を施行し(治病など)、神に接待をして、送り出す(頌神、送神)、という順序が基本型なので、それにしたがって配列を心がけること、の二点があり、博士と本文内容を吟味しながら配列を検討した。
(それ以外としては、残されたテキストの形態から類推できる要素、すなわち、筆跡や書写年代、製本様式や用紙の異同によって、テキスト同士の近縁関係が想像されるが、これは本質的な事柄と少しずれるので、参考にとどめておく。)
以上の原則に基づいて、配列したのが表1である。およそ01から04までが請神、05から10までが施術、11から13が頌神、送神と分類されるが、03のように請神と大献・小献という接待が合冊されていたり、04のように請神と碗卦が含まれているものもある。
さらに、14以降については、通常とは異なる場面で使われたテキストと思われ、とくに17から22は信徒のために法場で使われるものではなく、教壇内部での使用が推定され、今後の検討を要するものとなっている。
冒頭にも述べたように、課題を多く残しているが、法教研究も少しずつ広がりを見せている今日、基礎資料を公開して、多方面からの検討を期待することとしたい。(後略)
第三章 所蔵科儀本
01 『頭壇請神書』 天運壬戌(一九二二)・四三頁・〈請神〉・一三六×二一六
・「請神」とは、神祇の降臨を乞う科儀の謂だから、とうぜん法場の最初におかれる。しかしこの場合は「頭壇」を冠しているから、複数の「請神」を含めた、複雑な法場劈頭の科儀である。
・難病治癒祈願のため、患家に招かれて行う「解災除病進銭保運」の法場だが、退災病のみならず、解煞神から保平安など改運の目的まで含んでいる。
・三奶夫人率いる神軍はもとより、その他閭山教の五営乃至三十六営兵将護衛のもとに招請される神祇は、道教・法教の高神位をはじめ、民間信仰を反映した地方神や観音菩薩・普庵祖師などの諸仏を含み、雑然としているが、かえって法教としての閭山教派の真面目を保っている。
・テキストの抄録年代は、文中の「今據台湾總督府某州某郡」とあるによって推定できる。
・科儀を司る主役法師が「師男」と自称しているが、特異な呼称である。
(02以下は略)
第四章 総説
一 符式簿とは
標題はないが、各種の符式を収録した符書である。書類の決まった書き方を書式というのにならって、符令の書き方を符式というから、これを一冊にまとめれば、符式簿になる。法事の進行過程において、符令と呪語は配合して行われるから、法師が手本として依拠し用いる伝抄本は、たいてい両者混合の符呪簿になっている。しかし分載したものもあって、この場合は符簿と呪簿になり、符令が一般に符仔と呼ばれるのにならって、符簿も符仔簿と俗称されているのである。そもそも、法師の修業学課としては、
1:駆邪押煞法、すなわち魔除けや加持祈禱の要領。
2:呪法、すなわち呪文の唱えかた。
3:符法、すなわちおふだの画きかたと使いかた。
4:指法、すなわち指を組み合せて秘術を行使するやりかた。
5:止血法、すなわち神懸って怪我した童乩に対する止血手当て。
などが挙げられる通り、符法は呪法と共に、修行過程における比重が極めて大きい。故にたいていの法壇は、それぞれの師伝による符式簿を備えており、必要に応じて画符の手本として用いているのである。符の正称は符令だが、単に符とも言い、殊に俗称の符仔が、日用語としてよく使われている。市井に法壇をかまえ、営業を行っている法師は、暇な時を利用して、需要度の高い符令を画き貯めておき、また法事執行中の時間節約にもしているのである。
符令書写の礼儀作法は、童乩が神卓前で起立し、或いは跪いて、乱暴に殴り書くのとは反対に、法師は椅子に腰掛けて卓上に向い、一途に精神をこめ、せいぜい低声で勅符呪をつぶやく程度で、落ち着いて、もの静かに行われ、高声や派手な所作を伴わない。
符式簿は、その内容から言えば、符式という単一資料に対する覚え書きとか記録にすぎず、羅列しただけだから、強いて分類すれば、雑録の如きものである。従って体裁は、科儀本の如く整然とせず、首尾が揃わず、重複再録もあって、いかにも雑然としている。しかし、教派および法壇の所在地という背景は、おのずから反映されており、ここでは台湾北部の漢族移住民に即した一面がにじみ出ている。例えば用途が、辟邪治病に偏重していることは、往時の開拓がいかに困難を極めたかの一証でもある。実際、病苦にあえぐ庶民にとって、かかる符令は、しばしの安らぎを与える、一服の気安め薬でもある。(後略)
第五章 各符の解説
1号符「玉帝勅……合家平安」(保身符)
説明に「帶身」とあるが、「帶」は俗字の「帯」となしている。すなわち、平安符を転用した、肌身離さず携帯する、お守りとしての保身符である。符式は、道教式合成偽字とか、記号や模様などが主体になっており、独特な構成である。
符頭は、希な四層構成で、複雑にして、かつまた分離式でもある。その上層は、小円と「十」字を組み合せて星辰を示す「〓」記号である(単独記号としては「総説」および55・103各号符参照、「日月」二字と組み合せた三光記号は7・17・36・44・45・46・60・64・71・98・105・120各号符参照)。第二層もやはり星辰記号だが、上に屈折曲線を載せて、三小楕円を包みこんだ円形模様「〓」である(「総説」および17・44・64各号符参照)。第三層は、常用されている三清記号だが(「総説」参照)、第二層との間に、「佛」字が介在しており、三個並列の「〓」記号は、両側の二つが変形している。しかもその位置は、甚だ妥当を欠き、慣例としては、上層すなわち符令の先端に据えるべきであることは、すでに「総説」で述べた通りである。下層は、五星の星宿図だが、その構造は、二十八宿星図の「星宿」とは、似て非なるものである。五星の配置は「〓」となっており、上下に分れ、上の星辰を示す二個の小円は離れているが、下の三星はそれぞれ短線で連結している。しかのみならず、上の二星と下の三星の位置は、その中間を、巨大な四角形網目模様で隔離されて、なおさら目立たなくなっている。かように、四層構造符頭の例は少なく、その希少価値を以て、本号符の格式の高さを誇示しているのである。しかして、各層が直結せず、中間に符文を挟んだ分離式多重符頭は、符式の常套であり、事例が少なくない(「総説」および5・9・10・26・27・30・31・32・38・46・55・56・60・78・80・86・97・105・106・110・116各号符参照)。
符文は、三段に分れる。上段は、「佛」と「〓」の二字だけだが、その中間に天羅地網を表わす四角形網目模様が挟まれている(16・17・60・64・105各号符参照)。「佛」字は、最後の筆画を伸ばして、全字を円く囲んでいる。その両側には、「玉帝勅」と「天師勅」の二句を配しているが、これは玉皇大帝と張天師連合の、定型化した、希な複数司令神である(2・16・25・42各号符参照)。「〓」字は、その両側に、「天清」と「雷火」の二句を配している。しかして、この場合の「佛」とは、主動仏のことを指しているのだが、後述の如く、普庵祖師を指していると推定される。なお、(「総説」および38・64・92・113各号符参照)は邪鬼や悪霊などに対する威嚇の偽字だが、ここではまた本号符にこめられている霊力の中心、ならびにその発揮点をも示しており、符文とは遊離しているのである。
中段は、「雷」を五字連ね、各字の下部両隅から、三巻きの鬚模様を八字髭型に延ばし、その先端に「火」字を嵌込んでいる。雷火とは、落雷の轟音と稲妻を神格化した、雷公と雷母という一対の夫婦神を指している(15・16・47・103各号符参照)。この五字連続の鬚つき「雷」字は、二式ある五雷記号のA式に当り(3・4・5・10・58各号符参照)、全体で雄渾な図形を構成している。
下段は、〓状のくねった交差曲線と、両足の如く股を広げて垂らした二本の曲線合体の、変形「令」字(「総説」および20・26・27・30・31・32・39・40・41・64・70・71・81・82・97・100・105・110・120各号符参照)、及び「五雷大將□□□法」で、判読不能が三字あり、「發」を同音の「法」と、故意に誤写している(「総説」参照)。またその両側に「六丁」・「六甲」と、「合家」・「平安」の対句を配している。
本号符について、符式の面から見れば、いかにも複雑すぎて、それだけに難解であり、常用の符令ではないことを仄めかしている。実用性の高い符令ほど、符式が単純化される傾向があり、これは需要と供給という実際面から見ても、首肯できる現象である(「総説」参照)。
三巻きの巻き鬚模様は、他の文字にもつくが、ここでは「雷」字につけ加えられている。しかして、かかる八字髭型の「雷」字記号は、本号符のほか、3・4・5・10・25・41・58・78・123各号符にも見られ、合計一〇例で、比率はかなり高い。無論これは単なる虚飾ではなく、実は威力の誇示にほかならないのである。
上段円囲いの「佛」字は、さらに巻き鬚模様の尾を引く例もあり、高位仏菩薩の漲る霊力、すなわち霊験あらたかな神通力を誇示しているのである。事例としては、13・35・36・44・45・53・55・60・71・74・75・79・98・105・120各号符があり、本号符を加算すれば、合計一六例になり、使用頻度の高い手法である。そのうち35・36・53・74・75・79各号符は普庵祖師で、98号符は観音仏祖、105号符は阿彌陀仏、120号符は仙師で、各一例しかないから、確率から推して、本号符の主動仏も普庵祖師と推察される。
しかして、「合家平安」こそ希求の目的であり、家宅正庁の神卓上か燈梁(天公炉や字姓燈などを吊す梁)に貼る、平安符の常套語である(12・25・32・39・41・50・69・78・86・100各号符参照)。
符文を整理すれば、「玉帝勅、天師勅、佛、(天羅地網図形)、天清雷火、(五雷火図形)、六丁六甲、□□□發、合家平安」となる。大意は、「司令神たる玉皇大帝と張天師の命を奉じ、普庵祖師が主動神として、五雷神ならびに六丁六甲(5・36・38・82・92・97・113・120・122各号符参照)の神軍を率いて天降り、不運の民家に赴き、雷火を猛烈に発して悪霊を退け、また天羅地網を張りめぐらして一網打尽にし、もって個人のみならず、全家族の息災をも護る」という、広域の護身平安符である。
符脚は、「印」字を縦に割って、中に、「罡」字を挟んだ「罡印」二字の重複式であり(「総説」および4・5・10・29・42・47・66・69・74・80・94各号符参照)、複雑な符頭とは、ほぼ見合っているのである。全構図から見れば、本号符は人の意表をついた、複雑にして、特異な図形を以って奇を衒うという、いかにも神秘めかした符令である。また、構図が複雑であれば、それだけ人々にとって、その霊験に得心がいくという、符令の好適例でもある。
(2号符以下は略)
神圣礼乐 豆瓣
作者: 蒲亨强 出版社: 巴蜀书社 2000 - 1
《神圣礼乐:正统道教科仪音乐研究》分历史与现状;艺术、审美特点及其文化基础上下两篇,详细深入地探讨了道教音乐的历史沿革和艺术宗教价值。《神圣礼乐:正统道教科仪音乐研究》是由巴蜀书社出版社出版。
血田 豆瓣
Fields of Blood:Religion and the History of Violence
作者: 凱倫‧阿姆斯壯 / Karen Armstrong 译者: 林宏濤 出版社: 如果出版社 2016
全球暢銷書《神的歷史》(A History of God)作者、2008年TED大獎(Ted Prize)得主
著名比較宗教學者凱倫.阿姆斯壯,在新作《血田》中全面性探討宗教與暴力的關聯。
※《出版人週刊》選書,美版首刷印量15萬冊
人類社會本質上就帶有暴力,
雖然宗教常成為我們的代罪羔羊,但真正該做的是為此感到悲傷。
一個世俗化的民主國家,並不比宗教化的國家更愛好和平,
暴力是文明社會的兩難,每個人都置身其中。
我們無法澈底改變我們社會的本質,
但是不是能有一種不同的路徑,讓人們以更仁慈、更有同理心的方式生活在一起?
早在西元前兩百多年,印度的阿育王就發現,他既要推行慈悲的法,但為了維持國家穩定,卻又不能解散他的軍隊。古代以色列人原本想逃出農業國家,回歸部落文化,但他們很快就發現,儘管他們對於城市文明的剝削痛深惡絕,卻不能沒有它。
人類最早的宗教便是植基於生命必須依賴暴力才能生存的悲劇事實上,希望能幫助我們面對這個無解的難題。
但矛盾的是,歷史發展至今日,宗教反而經常被視為是各種紛擾的起因。
宗教真的該為人類的暴力負責嗎?宗教是如何被誤認以至走到現今這一步?
該如何認清暴力、宗教與人類社會的關係?
政治脫離宗教,真的為世界帶來和平了嗎?或者只是陷入一種缺乏剎車的極端?
在暴力在所難免的政治世界裡,非暴力真的有可能實現嗎?
現代性讓社會暴力的規模更為龐大,世俗化的民主國家,並不比一個宗教化的國家更愛好和平,甚至還缺乏剎車。作者爬梳了各個文化傳統中,包含佛教、中國儒教、道教,西方基督宗教,跨越四千多年的宗教歷史,不但為宗教在人類社會中的角色提出有力的抗辯,更為人類社會暴力的本質提供了思考的出路。
【書封故事】
當人類的鋤頭第一次揮向土地,大地就開始流血,從此,農田成了血田。
亞伯是牧羊的;該隱是種地的……
二人正在田間,該隱起來打他兄弟亞伯,把他殺了。
耶和華問該隱說:「你兄弟亞伯在哪裡?」
他說:「我不知道。我豈是看守我兄弟的嗎?」
耶和華說:「你做了什麼事呢?你兄弟的血有聲音從地裡向我哀告。」
《創世記》 4:2,8-10
各界齊聲推薦
•傳統上被視為是『宗教』戰爭,實際上絕大部分不是宗教,而是政治所導致的衝突,本書針對這段歷史做了很好的總結。——《圖書館期刊》
•發人省思,非常好讀。作者的探尋讓人耳目一新。她綜覽全球以及四千多年來的宗教歷史,解釋了宗教和暴力如何被套在一起,同時,也闡明宗教被用來對抗暴力的種種作法。——《出版人周刊》
•如史詩般壯闊,博學且廣泛的歷史研究,研究暴力與宗教的關係。…引人入勝的讀物充滿神在人類文化中最強而有力的抗辯。——《科克斯評論》
中外文化交流探绎 豆瓣
作者: 陈万成 出版社: 中华书局 2010
本书是作者研究中外文化交流的一本论文集,涉及星学、医学、翻译、文学等。

“序”放在书的最前面,却通常是最后才动笔写的。这个序也不例外。
这本集子,共收旧文十二篇,有些前后相隔竟有二十年之久。但话题却始终一贯,就是文化的空间延展与衍变。隋炀帝的《泛龙舟》,后来摇身变成了佛曲,出现在日本室町时代的涅槃会上;或者波斯人的水星神,竟然闯进了道教徒的永乐宫,化身为壁画上的辰星,这样离奇的情节,当中都有一段曲折多姿的文化流动史。某些文化因子,随着移民、商旅、军团与游方僧众等等,翻山越岭,飘洋过海,来到了新天地、新土壤,依样开花结果,却又不免“踰淮而枳”,或者说是“归化”,最终是让人再也瞧不出来自己本来是流落他乡的“客”。
搜集铨次,把十二篇都重头读了一次。第一个印象是,“全球一体化”这么一门摩登的东西,说不定在中世纪本来就可以拿来谈谈的。 这里谈论“星学”的几篇,展现出中国唐元之间的星命文化,实际上也流行于整个欧亚大陆。无论是杭州城里卖杏花的小巷,或者是Abbasid王朝巴格达的市街,或者西班牙Alfonso王的宫苑,只要你是学“仰观”的星士,你都不免要谈一点“身宫”、“命宫”、“疾厄宫”等等的运命十二宫,留心着福曜木与恶曜土在黄道十二宫上的进出,由此而为帝皇﹑公侯﹑诗人﹑妓女等等众生,推算出本来是无常的祸福。打开几本中世纪的星占书,从太平洋的此岸到大西洋的彼岸, “浮海八万里”,大家都有着大同小异的星神信仰,试看︰
1. (十世纪)《秤星灵台秘要经》︰
禳火
使赤油麻七粒、赤稻五粒、赤小豆三粒、赤驴尾七茎,赤钢屑少许,以绯袋子盛,绯线子系在臂上,大吉。
禳土法
取黑油麻七粒、黑豆七粒,以皂绫袋子盛之,用皂索子系在臂上,能除一切鬼魅邪魔。…宜以犁具铧铁铸作一土星真形。…亦得以随年果子供养,黑色者大妙。
禳木法
取白猪毛七茎以白袋盛,系在臂上,…又以白银一两铸作真形供养。
2. (十一世纪)Al-Biruni, The Book of Instruction in the Elements of the Art of Astrology:
Saturn … Jet-black
Jupiter … White mixed with yellow and brown, shining, glittering
Mars … Dark red
Saturn … Litharge, iron
Jupiter … Tin, white lead
Mars … Iron and copper
[意译︰ 土星 … 漆黑色
木星 … 白色,渗混了黄褐色,色彩亮泽
火星 … 暗红色
土星 … 铅,铁
木星 … 锡,白铅
火星 … 铁,铜]
3. (十三世纪)Picatrix:
Saturn en effet, parmi les métaux, possède le fer …; parmi les pierres … qui est noir et brillant.
Jupiter, parmi les métaux, possède le plomb; parmi les pierres précieuses, les blanches et les jaunes.
Parmi les métaux, Mars possède le bronze rouge, … parmi les pierres, … toutes les pierres rouge et mouchetées.
[意译︰金属之中,与土星配应的是铁,…;宝石之中,与土星配应的是…黑亮的。
金属之中,与木星配应的是铅,…;宝石之中,与木星配应的是白色和紫色。
金属之中,与火星配应的是红铜,…,宝石之中,与火星配应的是红色和花斑的。]
这样三条简单的资料,就已经展示出来,从中国一直到西班牙Alfonso的王廷,单是看星神配属什么颜色与金属,就几乎是东西方完全一致了。这部集子里谈星学的几篇,还举出其他中外之“同”。我们要是由此而谈一下中世纪的“全球一体化”,似乎也不算是“满纸荒唐言”的。文化交流,靠着远航的巨帆,或着伶俜的骆驼商队,似乎是有过深远的影响。
重读这十二篇,我的第二个印象却是要把第一个印象稍为修正一下。文化交流并不因为有了地域交通的条件就必然成功。中古时期开始,文化尽管能在地域上广泛地游动延伸,但不一定就能在异地得到新族群的认受与吸纳。这部集子有几篇谈到医术传播的,反映出来的事实,似乎都是文化传播的滞碍,以致最终失败。西医学东传,应该是很早就发生的事情。李约瑟的《中国科技史》第一册,就引述过一个应当发生在唐代的故事,涉及有名的伊斯兰医家al-Razi(卒于公元925 年)︰
拉兹(al-Razi)谈过这样的一件事情︰“有一个中国人来拜访我,他留在城里(可能是巴格达)一年,五个月内就学会了讲写阿拉伯语,还说得很流利,写得挺漂亮。后来他要回国,回去前的一个月左右,到来跟我说︰‘我回去之前,倒是想有人把盖伦(Galen)的十六册医书都给我念出来,让我默写带回去。’ 我告诉他,仅余才一个月,连抄写它小部分的时间也不够呢。他就说︰‘我央求你,就把你每天的时间都用来念给我听。我默写的速度,是要比你念出来还要快。’ 于是我就连同一个学生,轮流用最快的速度把盖伦的书朗读出来,而他的确写得比我们还要快。我们当初是不敢相信他能默写得一字不误的,但后来核对一下,他竟然写得原原本本,毫无错漏呢。”
Al-Razi这个故事,本来是记载于al-Nadim(卒于公元995年)的《学术指南》(Fihrist al-‘ulum)(成书于公元988年),就算它只是传闻,但唐代的中国人,通过与阿拉伯人的接触而认识到希腊Galen的医学,应该是极可能的事情。由唐代以至晚明,西医学数度东传,这部集子的其中三篇,就是谈及一些东传的细节。但西医对于中国本身极其强固的医药文化,似乎是没有影响,与西来的星命文化相比,星命之学竟然能落地生根,其成功绝非西医学之比。我们不禁要问︰同样是死生祸福攸关的事情,何厚此而薄彼?<汤若望与《主制群征》的翻译>一篇,是想从翻译的角度查考一下。道理是很显浅的,翻译做不好,文化传播就不容易成功。但似乎这只是问题的片面。中医文化的独特性也可能有点关系。谈“脑筋”和”胰腺”的两篇,当初的设想就是要探讨一下中医学的强固性格。试想,阴阳五行思想本来在传统文化中是无所不在的,到了二十世纪,却已经从各个学术领域中隐退下来。就只有在中医学,始终捍守着一个强固的壁垒。中医学作为一种文化征象,它的独特性与强韧性,是值得我们反思的。
我的第三个印象,是关于“文化定位”的问题。在文化交流的过程中,两个文化之间怎么样定位,孰高孰下,孰主孰从,对于文化交流的流向,当然是有所影响。中国一向自视为“天朝大国”,外国人进入了我们国境,就叫做“观光上国”,上下大小的分别很清楚。文化流向主要是由上向下,由大至小,所以“汉化”这个词,基本上是能表示出中国与日本、朝鲜、越南,以至西北的高昌、西夏诸国的文化交流势态。但“定位”除了“高下”,还有“距离”这样一个维度。“距离”是比喻性的说法。对方的文化和自己的很相似,我们就说双方很接近,反之(不相似)就说差距很远。究竟“他者”是咫尺之近,还是千万里之遥,这往往是一个国族处于某个历史环境的心理势态问题。明末的天主教士如利玛窦等,基本上是强调天儒合一,于是天主教与儒教就变得既相似又相近,能一拍即合。但到了十九世纪,新教徒却是颇为一致地认为孔教有别于基督教,这个“有别”,当然就是“差得远”、“及不上”。十七世纪的方济各会士利安当(Antonio de Santa Maria Caballero, 1602–1669 ),他写过《天儒印》一书,谈到孔子说的“己所不欲,勿施于人”,按语云︰“吾主圣训曾有是语,此即爱人如己之大旨也。” 所谓“吾主圣训”,就是玛窦福音里的“金律”(The Golden Rule)︰“Do unto others as you would that they should do unto you.”(你想别人怎么样待你,你就怎么样待人。)利安当的按语,等于说孔子的话就是耶稣的话,天儒同理,再用他的徒弟尚佑卿的话说,就是“大主(按︰ 即天主)其授印者乎,宣圣其承印者乎!” 但到了十九世纪,以翻译儒家经典而驰名中外的伦敦会(London Missionary Society)传教士理雅各(James Legge)却说︰
When a comparison, however, is drawn between it and the rule laid down by Christ, it is proper to call attention to the positive form of the latter. (p. 109)
The Golden rule of the Gospel is higher than both. (p. 177)
[意译︰拿《论语》的话和基督的训言相比,我们应该留心,基督的圣训是正面的。…它比《论语》和《中庸》 (指《论语》 “己所不欲,勿施于人”和《中庸》“施诸己而不愿,亦勿施诸人”)都高尚得多。]
理雅各的结论是“How far short Confucius came of the standard of Christian benevolence!”(基督仁爱的高度,孔子是远远及不上!)(p. 110)
基督新教、旧教,尽管在神学上不尽相同,但谈到基督伦理之教,还是很相若的,但明末的天主教士认为能“合儒”,清末的新教徒就认为是“远非彼所能及”,当中涉及的应该就是文化定位的心理势态。理雅各心目中的西方,如日方中,目之所视,无非是日不没的殖民帝国,它是不轻易在文化上认为晚清中国能与自己等量齐观的。我们探讨明末与清末的中西文化交流与翻译策略,这种中西文化上的距离感,是不容忽视的。
※ ※ ※
谈到“距离感”,使我想起另外一个话题︰亚当的肚脐眼。亚当是否有肚脐眼,这是西洋神学与画学的大话题。谈论了数百年,纷纷扬扬,连拿过诺贝尔奖的 Stephen Jay Gould也拿它做文章。 一般人认为亚当既非母胎所出,理应是没有肚脐眼的。但君不见,Michaelangelo给西斯汀教堂(Sistine Chapel)绘画出举世闻名的天人图,亚当不也是有个肚脐眼的么?我见过的西洋画,不论是Masacio、Michaelangelo,还是后来的 Rubens、Savery等等,一律都给亚当画个肚脐眼,要不就拿一块树叶遮去肚脐眼的地方。似乎是没脐眼的原祖父母,大家都不忍看的。试想,把一对没脐眼的男女认作自己的老祖,心里不是会怪怪的吗?
这就是距离感的问题。“父母”要是有个没脐眼的躯体,始终是“匪我族类”,自然就说不上是“父母”,心理上的距离,何只十万八千里?所以画亚当就不得不让他长个肚脐眼,或者画块树叶遮去,似有还无,让这个天造的原人,向我们这一众母生的凡夫俗子“靠拢”、“归化”,如此这般,他才堪称为原祖。
文化交流中的“归化”现象,大概也有点像亚当的肚脐眼,心理偏向压倒理性认知,不得不把“异文化”改塑成自己所熟知惯见的模型。这并不是理性认知有所不足,就正如大家都知道亚当理应没肚脐眼一样,却还是给他画上一个才心里舒服。这里收录的好几篇文章,谈到Ptolemy星学换了头面,以干支的形态出现于民间习用的通书之内,又或者西洋人发现的Pancreas(胰),归化成为中医五脏的脾,又或者两个裸男的双子宫(Gemini)变成了我们中国的男女宫,似乎都属于“亚当的肚脐眼”这一类的文化现象。“他者”向“我”这一方归化投诚,中外皆然,常情矣。
以上拉杂谈一点读后感。是为序。
丁亥年除夕于港大
Aryadeva's Lamp that Integrates the Practices 豆瓣
作者: Christian K. Wedemeyer 译者: Wedemeyer, Christian K. 出版社: American Institute of Buddhist Studies 2008 - 3
The Lamp that Integrates the Practices is a systematic and comprehensive exposition of the most advanced yogas of the Esoteric Community (Guhyasamaja) Tantra as espoused by the Noble Tradition, an influential school of interpretation within the Mahayoga traditions of Indian Buddhist esoterism. Equal in authority to Nagarjuna’s famous Five Stages (Pañcakrama), Aryadeva’s work is perhaps the earliest prose example of the “stages of the mantra path” genre in Sanskrit. Its studied gradualism exerted immense influence on later Indian and Tibetan tradition, and it is widely cited by masters from all four major lineages of Tibetan Buddhism.
This volume presents the Lamp in a tri-lingual format: its Sanskrit original critically-edited from recently-identified manuscripts, a critical edition of the eleventh-century Tibetan translation by Rin-chen Bzang-po (including notes on readings found in “lost,” alternative translations), and a thoroughly-annotated English translation.
Includes an introductory study discussing the history of the Guhyasamaja and its exegetical traditions, surveying the scriptural and commentarial sources of the Noble Tradition, and analyzing in detail the contents of the Lamp. Features a detailed, tri-lingual glossary.
语言接触和文化互动 豆瓣
作者: 杨同军 出版社: 中华书局 2010 - 11
书稿以汉译佛经史上的重要翻译作品——支谦译经——的复音词为研究对象,从语言接触和文化互动的角度,具体、深入地考察了汉译佛经词汇的生成与演变,并就因此而形成的汉译佛经语言对汉语词汇发展的影响作了探讨,对汉语词典的编纂也提出了参考性意见。
The Oxford Handbook of Religion and Violence 豆瓣
作者: Mark Juergensmeyer / Margo Kitts 出版社: Oxford University Press 2015 - 11
Violence has always played a part in the religious imagination, from symbols and myths to legendary battles, from colossal wars to the theater of terrorism. The Oxford Handbook of Religion and Violence surveys intersections between religion and violence throughout history and around the world.
The forty original essays in this volume include overviews of major religious traditions, showing how violence is justified within the literary and theological foundations of the tradition, how it is used symbolically and in ritual practice, and how social acts of violence and warfare have been justified by religious ideas. The essays also examine patterns and themes relating to religious violence, such as sacrifice and martyrdom, which are explored in cross-disciplinary or regional analyses; and offer major analytic approaches, from literary to social scientific studies.
The contributors to this volume--innovative thinkers who are forging new directions in theory and analysis related to religion and violence--provide novel insights into this important field of studies. By mapping out the whole field of religion and violence, The Oxford Handbook of Religion and Violence will prove an authoritative source for students and scholars for years to come.
Buddhist Warfare 豆瓣
作者: Michael Jerryson / Mark Juergensmeyer 出版社: Oxford University Press 2010 - 1
It is a well-known fact that the first of all the commandments of the Buddhist creed is “Thou shalt not kill” but Chinese books contain various passages relating to Buddhist monks who freely indulged in carnage and butchery and took an active part in military expeditions of every description, thus leaving no room for doubt that warfare was an integrate part of their religious profession for centuries. —J. J. M. de Groot, 1891
世亲唯识学的根本性研究 豆瓣
作者: 稻津纪三 译者: 杨金萍 / 肖平 出版社: 北京:宗教文化出版社 2013 - 1
在佛教史上,能将唯识与净土二宗冶为一炉的论师并不多见,而世亲便是其代表。然而,由于近代以来学术界就学术领域的过细划分,使得完整的世亲被分割成唯识论师的世亲与净土论师的世亲两个人。
《世亲唯识学的根本性研究》作者稻津纪三基于完整人格的思考,对世亲的唯识学做了根本性阐释,这便是《世亲唯识学的根本性研究》的主要内容。我们相信,通过阅读《世亲唯识学的根本性研究》,可以令国内学术界对世亲获得更为全面的认识。
16-18世纪蒙古佛教史研究 豆瓣
作者: 明·额尔敦巴特尔 出版社: 内蒙古人民出版社 2018 - 9
本书利用蒙、汉、藏等基本史料,对藏传佛教格鲁派高僧内齐托音一世(1587—1653)在漠南蒙古地区传教的特点和作用,蒙古大汗和蒙古右翼土默特万户首领等蒙古统治阶层对藏传佛教所采取的态度、政策以及清廷对蒙佛教政策的内容、作用等重要问题进行了深入细致的探讨。共分三部分,一是研究16—17世纪蒙古地区藏传佛教与萨满教争斗的历史进程;二是探讨蒙古人怎样对待藏传佛教的问题,主要对17世纪前期蒙古大汗林丹汗的政教活动、林丹汗《蒙古文金字甘珠尔经》的形成及其政治、宗教都城金刚白城等几大问题加以详细的探讨;三是对清朝前期诸帝的佛教观和清朝前期对蒙佛教政策的研究。书中充分展示了作者的探索与研究成果,是一部具有较高学术水平的清朝前期蒙古佛教史专著。
2020年4月7日 已读
小书功力深。讲清楚了内齐托音的一些基本问题。介绍了林丹汗的《蒙古文金字甘珠尔经》的流传情况(说起来有一篇讲1720年蒙文甘珠尔怎么copy林丹汗版的论文也很有趣)。说明白了为啥林丹汗会皈依广义“红教”系统的萨迦派。满蒙藏交互的政教史一如既往喋血,史事也一次次说明了我大清皇帝能玩转内亚和汉人政治能力不是盖的。
2018 佛教 历史 宗教 民族
卫拉特高僧拉布紧巴·咱雅班第达研究 豆瓣
作者: 叶尔达 出版社: 社会科学文献出版社 2012 - 8
《新疆研究丛书:卫拉特高僧拉布紧巴·咱雅班第达研究》是一部研究17世纪卫拉特高僧拉布紧巴·咱雅班第达生平的著作。作者在充分运用蒙、藏、汉文等史料以及借鉴国内外研究成果的基础上,全面、系统、深入地研究了拉布紧巴·咱雅班第达生平事迹以及和他相关的卫拉特历史文化问题。作者发掘利用了大量的新史料,运用科学的研究方法在相关问题上提出了独到的见解,在咱雅班第达生平事迹以及相关的卫拉特历史文化诸问题研究方面取得了一系列新的突破。
清净道论 豆瓣
作者: 觉音 译者: 叶均 出版社: 中国佛教研究所 1991
「清净道论」是南传佛教典籍中最受后人重视的佛书,也是南传佛教史上最伟大的论师--觉音的划时代钜着。
这部书的重要性,可以从下列国际学者的文字中看出端倪。
※爱德华.孔滋:「(清净道论)是人类心灵上最伟大的经典作品之一。如果我流浪到荒岛时只容许携带一本书的话,这部书将是我所要选择的。」 (The Western Contribution to Buddhism, p. 74.)
※水野弘元:「清净道论是一部汇集南方上座部教理最详尽、最适当的论书。要瞭解南方上座部的教理,本书是非读不可的。」(「南传大藏经」(62)册卷首解题)。
※早岛镜正:「清净道论是南方巴利佛教中被推尊为最高权威的论书。其百科全书式的内容,可以与有部的大毘婆沙论相匹敌。」(「佛典解题事典」一一※一二二页)
像这样重要的佛典,居然没有被我国古代的译经大德译成中文,乃使我国的各版大藏经都未加收录,这当然是一件不小的缺憾。现在,叶均先生从巴利文中把它翻译出来,为时虽晚,总算弥补了这一不足。
本书以戒定慧三学为纲,作者站在南传上座部的立场,把一个佛教徒如何实践,如何由凡夫而入三学、趋解脱的历程,详细地铺陈出来。在汉译佛典里,虽然有与它类似的「解脱道论」,但是该论文字不易读,内容也远不如本书详细。所以,这部书实可视为现代佛教徒在实践上的最佳参考资料之一。读者千万不要受习俗拘宥、轻率地以其为「小乘法门」而有意忽视。
觉音(Buddha ghosa)所著的『清净道论』(Visuddhimagga),是综述南传上座部佛教思想的一部最详细、最完整、最著名的作品,是研究南传上座部教理的必读之书。觉音引用了整个南传三藏要点并参考斯里兰卡当时流传的许多古代三藏义疏和史书而写成此论。所以『大史』(Mahaava.msa)称它「为三藏和义疏的精要」;德国的唯里曼.盖格(Wilhelm Geiger)教授也说它「是一部佛教百科全书」,亚洲南方各国的佛教学者都要研究这部名著,其它的世界佛教学者也都很重视研究它。读了此书,可以了解南传佛教的主要教理;也可以看到一些当时当地的社会、经济.历史等问题。尤其值得一提的是作者在举当时各国的上等布类中有中国的丝绸(Ciinapa.t.ta--支那丝绸),这在经论中是难得见到的资料。这部巴利三藏的代表作,在世界各国有多种文字的译本。
觉音,公元五世纪中叶人,是南传巴利语系佛教的一位杰出学者,他用巴利文写了很多书,对上座部佛教有很大贡献。因为在觉音时代,印度大部分的佛教学者都已采用梵文,巴利文佛教业已衰落,只有斯里兰卡和菩提场的比库依然忠于巴利文。由于觉音的努力,巴利文这一系的佛典古语学才又活跃起来。
根据『大史』记载,觉音出生于北印度菩提场附近的婆罗门族,通吠陀学,晓工巧明,精于辩论。在菩提场一座斯里兰卡人建造的寺院出家,从离婆多(Revata)大长老学习巴利语三藏。受了比库戒后,便为了一部书叫『发智』」(~Naa.nodaya)。为了进一步深入研究,他在摩词男(Mahaanaama)王时代(409~431)来到斯里兰卡的首都阿耨罗陀补罗(Anuraadhapura),住在大寺(Mahaavihaara),从僧团波罗(Sa'nghapaala)长老学习三藏经典和义疏。在此期间,因为接受僧团波罗的请求,觉音首先撰成著名的『清净道论』。继之,大寺僧众即把所有僧团罗文的三藏注疏都供给他做参考,要他写更多的书。于是觉音便移居根他伽罗寺(Ganthakar vihaara),埋头苦干,长期从事著作,几乎对全部巴利三藏都做了注解。其中有律藏的注释「普悦」(Samantapasaadikaa 善见律毗婆娑):波罗提木叉的注释『析疑』(Kankhaavitara.nii)、长部经注「善吉祥光」(Suma'ngalavilaasinii)、中部经注『破除疑障』(Papa~nCasudanii)、相应部经注『显扬心义』(SaratthapakaaSinii)、增支部经注『满足希求』(Manorathapura.nii)、小部第一(小诵)第二(经集)注『胜义光明』(ParamatthajOtikaa)、『法聚论』注『殊胜义』(Atthasaalinii)、『分别论』注『迷惑冰消』(Sammohavinodanii)﹑其余五部论注『五论释义』(Pa~ncappakara.natthakathaa)、『本生法』(Jaataka.t.thava.n.manaa)、『法句譬喻』(Dhammapada.t.thakathaa)。后来他又回印度朝礼圣菩提树,不知所终。相传在柬埔寨有一座古寺名觉音寺,是他去世的地方。
觉音写『清净道论』,是严格地按照当时大寺派的思想体系来著述的。其组织的次第和内容,有许多地方与优波底沙(Upatissa)所着的『解脱道论』相似。优波底沙约早于觉音二百余年。本论除了序论和结论外,全书分为二十三品,依照戒、定、慧三大主题次第叙述,即前二品说戒,中间十一品说定,后十品说慧。
前二品,主要是说明怎样持戒,戒的种类,持戒有什么好处,怎样自愿地受持十三头陀支等。就是说如何严格地遵循比库僧团的生活方式。作者在评论持戒的出发点时说:「以爱为出发点,为求生命享受而持戒者为下,为求自己解脱而持戒者为中,为求一切众生解脱而受持的巴拉密戒为上」。可见作者也接受了当时发展中的某些大乘佛教的思想影响。
中间十一品,主要是叙述十遍、十不净、十随念、四梵住、四无色定、食厌想、四界差别等四十种定境的修习方法。这些对于怎样去修每一种定,都说得很清楚,有心者可以按照这些方法去实行。
后十品说慧学,是本书最重要部分,集南传佛教论藏的主要内容和七部论以后发展出来的教理。其主要论题有:五蕴、十二处、十八界、二十二根、四谛、十二缘起等。这里解释物质方面的色蕴,有二十四种所造色;解释精神方面的识蕴,有八十九心、心识过程中的十四种作用和五十二心所法;解释缘起的各种条件有二十四缘等。这些都是南传上座部佛教的特色。
这部汉文译本的完成,其经历是曲折的。早在一九五三至一九五六年间,我在斯里兰卡从巴利文学者般若难陀(Pandit P. Pa~n~nananda)专研『清净道论』时,即将每日所学的论文译为汉文。其汉译手稿,于一九五七年随身带回国内。后因中国佛学院部分同学需要参考,未经修改便誊印一百部,其中错误甚多。在一次火灾中,所存全部手稿和油印本均被焚毁,化为灰烬。直至一九七八年始从别处找回一部幸存的油印本,方能重新据此而从事校对整理和修改工作,于一九八0年底告成。翻译这部论着,斯国人民认为是交流中斯文化的部分工作,曾在该国『兰卡之光报』上详细地发表过消息。国内一些学者亦重视此事。不过由于个人才疏学浅,在译文上错误之处实所难免,希望读者指正。
涅槃経の研究 豆瓣
作者: 下田正弘 出版社: 春秋社 1997 - 2
代表的大乗経典の徹底した分析、国内外の研究成果の再検討、文献・文献外資料の相補的読取り等を通し、小乗・大乗の枠組を超えた新たな経典解読方法を提示した衝撃的研究。
蒙古佛教史 豆瓣
作者: 固始噶居巴·洛桑泽培 译者: 陈庆英 / 乌力吉 译注 出版社: 天津古籍出版社 1990
《蒙古佛教史》是蒙古族学者固始噶居巴.洛桑泽培用蒙藏两种文字撰写的一部蒙古佛教史。自藏文本以《霍尔却穹》为名刊行后,先后有德文译本、日文译本问世,国内则有陈庆英、乌力吉的汉译本。《蒙古佛教史》是记述藏传佛教在蒙古地区传播的早期著作,其史学价值:一是开启了蒙古族学者以藏文撰写蒙古族史的先河;二是承袭了藏族史学传统,以藏传佛教史为主线记录蒙古族历史,续补部分增入的则是藏传佛教在蒙古地区的传播业绩及蒙古高僧大德的弘法活动,由此可见蒙藏文化交流的基础在于共同信仰。
The Tibetan Book of the Dead 豆瓣
作者: Padma Sambhava 译者: Robert Thurman 出版社: Bantam Books, Inc. 1993
The most prominent expert on Tibetan Buddhism in the West offers a translation of this essential book of Tibetan philosophy that captures the true spirit and poetry of the original work--a profound book that reveals the nature of the mind and its manifestations and offers pure enlightenment.
杜光庭记传十种辑校(全二册) 豆瓣
作者: 罗争鸣 辑校 出版社: 中华书局 2013
本书是对唐五代著名道教思想家和道教领袖杜光庭所作的十种记传类著作的辑录、点校、辨正,分别是《录异记》、《道教灵验记》、《历代崇道记》、《洞天福地岳渎名山记》、《天坛王屋山圣迹记》、《神仙感遇传》、《墉城集仙录》、《仙传拾遗》、《王氏神仙传》、《洞玄灵宝三师记》;另有附录两种,即《青城山记》和《毛仙翁传》。本书所辑校的杜光庭十种著作大都属于《道藏》“洞玄部记传类”,因而据之定名。这十种著作对于研究中古道教史、道教神话地理、道教神仙谱系、道教人物等具有很高的资料价值。所辑校各书之具体内容与整理思路如下:
①《录异记》。全书现存八卷,记载仙、异人、忠、孝、感应、异梦、鬼神、龙、异虎、异龟、异鼋、异蛇、异鱼、洞、异水、异石、墓等诸类奇闻逸事,包括百余篇文章。本书以《正统道藏》本为底本,参校多个本子整理而成。每篇文章后都撰有说明文字,揭示文献源流。
②《道教灵验记》。今本现存十五卷,《云笈七签》卷一一七至卷一二二节录六卷一百十八条。全书以道教罪福报应的伦理思想为依据,叙述历史、人物、宫观、经像、天师等灵验感应事迹,以劝戒世人为善去恶。书中保存了较多的汉魏至隋唐的道教史料,对研究道教史事及宫观、符箓、斋醮等都有参考价值。此次辑校,以《正统道藏》十五卷为底本,校以《四部丛刊》、《道藏辑要》、《四库全书》本《云笈七签》之节录部分。
③《历代崇道记》。本书一卷,历叙秦汉以来历代帝王崇奉道教的举措,于李唐一代记叙尤详。所载老子灵验事迹出于当事人编造,而历代帝王崇祀事件则具有史实因素,多可参考。本书以《正统道藏》本为底本整理而成。
④《洞天福地岳渎名山记》。全书一卷,为道教地理著作,介绍道教所构想的神仙所居住的名山胜境(俗称仙境),包括仙山、五岳、五海、十大洞天、三十六靖庐、三十六洞天、七十二福地、二十四化等。如此系统全面地介绍道教仙境,在中国历史上是第一次。杜光庭构造的洞天福地理论,为后世道教广泛崇奉和运用。此次整理,以《正统道藏》本为底本,参校以《十洲记》、《云笈七签》所收之《天地宫府图并序》以及《说郛》本。
⑤《天坛王屋山圣迹记》。全书一卷,卷首有《天坛王屋山圣迹叙》,叙后为正文《天坛王屋山圣迹记》,文后有颂一首。王屋山是道教洞天福地说中的清虚小有第一洞天,十大洞天之首,三十六小洞天之总首,为王氏神仙王子登领之,同《王氏神仙传》一样,杜光庭编撰本记或有“媚蜀”之意。此次整理,以《道藏》本为底本,参校《全唐文》卷九三二及卷九三四。
⑥《神仙感遇传》。全书不传,《道藏》残存五卷,《太平广记》、《三洞群仙录》等多种类书有部分佚文。另外,《云笈七签》卷一一二也收录部分内容,这些篇目全见《道藏》五卷本,但卷一一三(上)所收篇目,只题“传”字,未标书名,内容也多是仙人感遇之事。此以《正统道藏》本为底本,参校《云笈七签》、《太平广记》、《三洞群仙录》等书。
⑦《墉城集仙录》。本书为道教女仙专传,现存《道藏》本为六卷,记载圣母元君、金母元君、上元夫人、昭灵李夫人等三十七位女仙事迹。相传西王母所居为金墉城,女仙归王母所统,本书所收皆为古今女仙,故以此为书名。此以《正统道藏》本为底本,参校《云笈七签》、《太平广记》、《三洞群仙录》等书,详加笺校。
⑧《仙传拾遗》。原书不存,据载,原有四十卷,凡四百二十九事。现辑出一百二十四条,并以李剑国《唐五代志怪传奇叙录》一书的顺序编排、校证。
⑨《王氏神仙传》。本书是关于王姓神仙的专传。原书不存,《太平广记》也未见收录,现从《三洞群仙录》、《类说》中辑三十九篇,李剑国《唐五代志怪传奇叙录》有详细的考证。本书在以往成果的基础上续作校勘考辨。此次整理,凡采自《类说》的篇目,以明天启刊本为底本;《三洞群仙录》则以《道藏》本为底本。
⑩《洞玄灵宝三师记》。全书一卷,包括三篇实录,分述经师田虚应、籍师冯惟良、度师应夷节的生平事迹及灵异化升之事。本书以《正统道藏》本为底本整理而成。
广成集 豆瓣
作者: 杜光庭 / 校注 董恩林 译者: 董恩林 点校 出版社: 中华书局 2011 - 6
《广成集》为唐五代著名高道杜光庭的文集。杜光庭在中国道教史上地位显赫,著作等身,“杜撰”一词就由他而来。本书现存十七卷,其中,卷一至卷三为表,共56篇;卷四至卷十七为斋醮词,共282篇。本书为研究杜光庭及晚唐五代道教史的重要资料。本书经华中师范大学历史文献研究所董恩林教授点校整理,便于阅读。书末附有“杜光庭生平事迹资料”、“杜光庭著述目录”、“杜光庭《广成集》外佚文辑补”等资料,可资读者研阅《广成集》之参考。