台湾の法教 豆瓣
作者:
劉枝萬
出版社:
風響社
2019
- 1
華南一帯の民間信仰の基層をなす巫術・法教。
本書は、清末から日本統治初期にかけて勢力のあった閭山(りょざん)教系の一派が相伝した科儀本(儀礼のテキスト)24点の全貌を紹介。さらにその本務である治病・魔除け・加持祈祷に用いる符令(お札)の原本・符式簿を詳細に解読。123件の符令から、法師の奉じる神仙やさまざまな呪法、法壇における儀礼をつまびらかにし、法教の実践を再現。
著者の民間信仰研究の到達点を示す大著。
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本文より
第一章
一 前言
(前略) 法教は道教よりも、いっぱんに低級だとみなされているだけに、その機能はなおさら民衆の日常生活に密着しており、加持祈祷の如き些細な法事すなわち呪法による行事ならば、民家で手軽にやれる便利さがあるから、その伝来は道教よりも早く、漢人の初期移住から、つとに導入されたと考えられる。
事実、客仔師と呼ばれる一派は、清初においてすでに活動がめざましく、弊害をもたらしたことが、地方志に記録されているほどである。各志を綜合すると、法師は法官ともいい、道士ではないが似ており、米卦(米占い)や補運(運勢なおし)などの法術を得意とし、必ず赤鉢巻きをするから紅頭師と称され、また広東潮州の客家人出自が多いため、客仔師とも呼ばれているとある。
そして道士が道教に則り、道服を着て、科儀を行う行為を道場と称するのに対して、法師が紅頭法により、ふだん着のままで赤鉢巻きして、法事を行うことを法壇あるいは法場といって、道教と法教は区別される建前ではあるけれども、清代の地方志にはまた紅頭法事を道士の仕事に取り違えたり、法師を道家の流とか道士みたいなものだという誤認もあるほどだから、民衆にとってはなおさら紛らわしくて、判別が容易ではなく、今日に至ってもなお然りである。(後略)
四 巫術
法教の本質はもとより民間信仰の底層に沈澱した巫術で、古代巫俗の残存にすぎないから、いかに道教が民間信仰に芽生え、ことに天師教は巫術性が強いとはいえ、両者には当然一線が画される。むろん外見も違い、法師は道士の服装を使用できず、ふだん着が原則だが、閭山・普庵・徐甲・嘛呢の諸派は眉と称する冠をかぶり、さらに裙をはく者もあるが、いかなる場合でも、赤布で鉢巻きしたり頭を包んだりするという頭部の固定標識だけは絶対に欠かせず、俗に紅頭仔(頭の赤い者)と呼ばれ、その法術を紅頭法と称するゆえんである。(中略)
しかして法場の科儀・呪法は、名目こそ夥しく伝えられているが、社会の変革によって需要がなくなり、伝承が失われて名称だけ残ったのもある。いっぽう法教の担い手としては、専業法師のほか、道士も無視できない。道士は道法二門兼修で、紅頭法をも心得ており、法師の業務も行っているので、彼等によって伝承されている法術ないし科儀もある。(後略)
第二章 台湾の法教資料――閭山教科儀本(劉枝萬述/石井昌子編)
一 資料の概要
(前略)資料は科儀本と掛図の二種類である。掛図は法教の儀礼を行う際に法場に掛ける神像や十王図などである。使用を重ねるうちに線香で煤けたり破損してゆく、一種の消耗品であるが、劉博士所蔵のものはいずれも保存状態が良く、絵柄も綺麗なものばかりの上質のコレクションとなっている。今回はこの中から法教との関係を示す内容のものを六点選んでカラー口絵に掲載することとした。(中略)
次に科儀本だが、全体で二四点あり、記された筆写年代からは、一八一六(嘉慶二一)年から一九二二(大正一一)年までが確認される。劉博士によれば、以下の由来と価値を有する資料である。
新竹県の客仔師の一派のものと思われるが、現在では詳細は不明である。この一派は「悪霊の辟邪(魔よけ)」を得意とし清朝時代に勢力があったが日本時代になると急速に消滅してしまう。総督府の政策と近代医療の普及のためと考えられる。
資料群としては、次の点において価値が高い。
科儀本は法師が儀礼に際して参照するテキストなので、元来消耗品である。また、師弟相伝とされ弟子がある段階で筆写するもので、容易に外部に示されるものではない。この資料は一つの壇のもので、まとまって入手したことから出所が明らかなことに加え、その壇の行っていた儀礼内容を伝える意味で価値がある。
また、達筆で誤記のないものが多く含まれることや、テキスト中に「廣顕壇」「澎呂石興信記」「石興」などと押印されているものが多いことから、この壇に勢力があり、羽振りがよかったことがわかる。その勢いは清末から日本時代初期までで、法教の活躍のはなやかな最後の時代と重なる。つまり、当時の法教の本流に近い教壇のものであった可能性が高く、資料としての価値がある。保存状態がよいのは活動が急速に廃れて忘れられていたからであろう。
二 科儀本の分類と配列
一群の資料としての価値は以上の通りだが、それらを資料として掲示するためには、分類と配列をしなければならない。しかし、各テキストについて詳細に検討していくには、儀礼の実際の再構成など周辺調査を含めての膨大な作業が必要なので、ここでは、タイトルとテキストから知られる内容により、およその分類・配列をするにとどめておくことにする。
劉博士の挙げられた原則としては、まず陽(加持祈祷のための請神科)を先とし、陰(死葬儀礼)を後とすること、また、儀礼においては、神を迎え(請神)、神の力を借りて術を施行し(治病など)、神に接待をして、送り出す(頌神、送神)、という順序が基本型なので、それにしたがって配列を心がけること、の二点があり、博士と本文内容を吟味しながら配列を検討した。
(それ以外としては、残されたテキストの形態から類推できる要素、すなわち、筆跡や書写年代、製本様式や用紙の異同によって、テキスト同士の近縁関係が想像されるが、これは本質的な事柄と少しずれるので、参考にとどめておく。)
以上の原則に基づいて、配列したのが表1である。およそ01から04までが請神、05から10までが施術、11から13が頌神、送神と分類されるが、03のように請神と大献・小献という接待が合冊されていたり、04のように請神と碗卦が含まれているものもある。
さらに、14以降については、通常とは異なる場面で使われたテキストと思われ、とくに17から22は信徒のために法場で使われるものではなく、教壇内部での使用が推定され、今後の検討を要するものとなっている。
冒頭にも述べたように、課題を多く残しているが、法教研究も少しずつ広がりを見せている今日、基礎資料を公開して、多方面からの検討を期待することとしたい。(後略)
第三章 所蔵科儀本
01 『頭壇請神書』 天運壬戌(一九二二)・四三頁・〈請神〉・一三六×二一六
・「請神」とは、神祇の降臨を乞う科儀の謂だから、とうぜん法場の最初におかれる。しかしこの場合は「頭壇」を冠しているから、複数の「請神」を含めた、複雑な法場劈頭の科儀である。
・難病治癒祈願のため、患家に招かれて行う「解災除病進銭保運」の法場だが、退災病のみならず、解煞神から保平安など改運の目的まで含んでいる。
・三奶夫人率いる神軍はもとより、その他閭山教の五営乃至三十六営兵将護衛のもとに招請される神祇は、道教・法教の高神位をはじめ、民間信仰を反映した地方神や観音菩薩・普庵祖師などの諸仏を含み、雑然としているが、かえって法教としての閭山教派の真面目を保っている。
・テキストの抄録年代は、文中の「今據台湾總督府某州某郡」とあるによって推定できる。
・科儀を司る主役法師が「師男」と自称しているが、特異な呼称である。
(02以下は略)
第四章 総説
一 符式簿とは
標題はないが、各種の符式を収録した符書である。書類の決まった書き方を書式というのにならって、符令の書き方を符式というから、これを一冊にまとめれば、符式簿になる。法事の進行過程において、符令と呪語は配合して行われるから、法師が手本として依拠し用いる伝抄本は、たいてい両者混合の符呪簿になっている。しかし分載したものもあって、この場合は符簿と呪簿になり、符令が一般に符仔と呼ばれるのにならって、符簿も符仔簿と俗称されているのである。そもそも、法師の修業学課としては、
1:駆邪押煞法、すなわち魔除けや加持祈禱の要領。
2:呪法、すなわち呪文の唱えかた。
3:符法、すなわちおふだの画きかたと使いかた。
4:指法、すなわち指を組み合せて秘術を行使するやりかた。
5:止血法、すなわち神懸って怪我した童乩に対する止血手当て。
などが挙げられる通り、符法は呪法と共に、修行過程における比重が極めて大きい。故にたいていの法壇は、それぞれの師伝による符式簿を備えており、必要に応じて画符の手本として用いているのである。符の正称は符令だが、単に符とも言い、殊に俗称の符仔が、日用語としてよく使われている。市井に法壇をかまえ、営業を行っている法師は、暇な時を利用して、需要度の高い符令を画き貯めておき、また法事執行中の時間節約にもしているのである。
符令書写の礼儀作法は、童乩が神卓前で起立し、或いは跪いて、乱暴に殴り書くのとは反対に、法師は椅子に腰掛けて卓上に向い、一途に精神をこめ、せいぜい低声で勅符呪をつぶやく程度で、落ち着いて、もの静かに行われ、高声や派手な所作を伴わない。
符式簿は、その内容から言えば、符式という単一資料に対する覚え書きとか記録にすぎず、羅列しただけだから、強いて分類すれば、雑録の如きものである。従って体裁は、科儀本の如く整然とせず、首尾が揃わず、重複再録もあって、いかにも雑然としている。しかし、教派および法壇の所在地という背景は、おのずから反映されており、ここでは台湾北部の漢族移住民に即した一面がにじみ出ている。例えば用途が、辟邪治病に偏重していることは、往時の開拓がいかに困難を極めたかの一証でもある。実際、病苦にあえぐ庶民にとって、かかる符令は、しばしの安らぎを与える、一服の気安め薬でもある。(後略)
第五章 各符の解説
1号符「玉帝勅……合家平安」(保身符)
説明に「帶身」とあるが、「帶」は俗字の「帯」となしている。すなわち、平安符を転用した、肌身離さず携帯する、お守りとしての保身符である。符式は、道教式合成偽字とか、記号や模様などが主体になっており、独特な構成である。
符頭は、希な四層構成で、複雑にして、かつまた分離式でもある。その上層は、小円と「十」字を組み合せて星辰を示す「〓」記号である(単独記号としては「総説」および55・103各号符参照、「日月」二字と組み合せた三光記号は7・17・36・44・45・46・60・64・71・98・105・120各号符参照)。第二層もやはり星辰記号だが、上に屈折曲線を載せて、三小楕円を包みこんだ円形模様「〓」である(「総説」および17・44・64各号符参照)。第三層は、常用されている三清記号だが(「総説」参照)、第二層との間に、「佛」字が介在しており、三個並列の「〓」記号は、両側の二つが変形している。しかもその位置は、甚だ妥当を欠き、慣例としては、上層すなわち符令の先端に据えるべきであることは、すでに「総説」で述べた通りである。下層は、五星の星宿図だが、その構造は、二十八宿星図の「星宿」とは、似て非なるものである。五星の配置は「〓」となっており、上下に分れ、上の星辰を示す二個の小円は離れているが、下の三星はそれぞれ短線で連結している。しかのみならず、上の二星と下の三星の位置は、その中間を、巨大な四角形網目模様で隔離されて、なおさら目立たなくなっている。かように、四層構造符頭の例は少なく、その希少価値を以て、本号符の格式の高さを誇示しているのである。しかして、各層が直結せず、中間に符文を挟んだ分離式多重符頭は、符式の常套であり、事例が少なくない(「総説」および5・9・10・26・27・30・31・32・38・46・55・56・60・78・80・86・97・105・106・110・116各号符参照)。
符文は、三段に分れる。上段は、「佛」と「〓」の二字だけだが、その中間に天羅地網を表わす四角形網目模様が挟まれている(16・17・60・64・105各号符参照)。「佛」字は、最後の筆画を伸ばして、全字を円く囲んでいる。その両側には、「玉帝勅」と「天師勅」の二句を配しているが、これは玉皇大帝と張天師連合の、定型化した、希な複数司令神である(2・16・25・42各号符参照)。「〓」字は、その両側に、「天清」と「雷火」の二句を配している。しかして、この場合の「佛」とは、主動仏のことを指しているのだが、後述の如く、普庵祖師を指していると推定される。なお、(「総説」および38・64・92・113各号符参照)は邪鬼や悪霊などに対する威嚇の偽字だが、ここではまた本号符にこめられている霊力の中心、ならびにその発揮点をも示しており、符文とは遊離しているのである。
中段は、「雷」を五字連ね、各字の下部両隅から、三巻きの鬚模様を八字髭型に延ばし、その先端に「火」字を嵌込んでいる。雷火とは、落雷の轟音と稲妻を神格化した、雷公と雷母という一対の夫婦神を指している(15・16・47・103各号符参照)。この五字連続の鬚つき「雷」字は、二式ある五雷記号のA式に当り(3・4・5・10・58各号符参照)、全体で雄渾な図形を構成している。
下段は、〓状のくねった交差曲線と、両足の如く股を広げて垂らした二本の曲線合体の、変形「令」字(「総説」および20・26・27・30・31・32・39・40・41・64・70・71・81・82・97・100・105・110・120各号符参照)、及び「五雷大將□□□法」で、判読不能が三字あり、「發」を同音の「法」と、故意に誤写している(「総説」参照)。またその両側に「六丁」・「六甲」と、「合家」・「平安」の対句を配している。
本号符について、符式の面から見れば、いかにも複雑すぎて、それだけに難解であり、常用の符令ではないことを仄めかしている。実用性の高い符令ほど、符式が単純化される傾向があり、これは需要と供給という実際面から見ても、首肯できる現象である(「総説」参照)。
三巻きの巻き鬚模様は、他の文字にもつくが、ここでは「雷」字につけ加えられている。しかして、かかる八字髭型の「雷」字記号は、本号符のほか、3・4・5・10・25・41・58・78・123各号符にも見られ、合計一〇例で、比率はかなり高い。無論これは単なる虚飾ではなく、実は威力の誇示にほかならないのである。
上段円囲いの「佛」字は、さらに巻き鬚模様の尾を引く例もあり、高位仏菩薩の漲る霊力、すなわち霊験あらたかな神通力を誇示しているのである。事例としては、13・35・36・44・45・53・55・60・71・74・75・79・98・105・120各号符があり、本号符を加算すれば、合計一六例になり、使用頻度の高い手法である。そのうち35・36・53・74・75・79各号符は普庵祖師で、98号符は観音仏祖、105号符は阿彌陀仏、120号符は仙師で、各一例しかないから、確率から推して、本号符の主動仏も普庵祖師と推察される。
しかして、「合家平安」こそ希求の目的であり、家宅正庁の神卓上か燈梁(天公炉や字姓燈などを吊す梁)に貼る、平安符の常套語である(12・25・32・39・41・50・69・78・86・100各号符参照)。
符文を整理すれば、「玉帝勅、天師勅、佛、(天羅地網図形)、天清雷火、(五雷火図形)、六丁六甲、□□□發、合家平安」となる。大意は、「司令神たる玉皇大帝と張天師の命を奉じ、普庵祖師が主動神として、五雷神ならびに六丁六甲(5・36・38・82・92・97・113・120・122各号符参照)の神軍を率いて天降り、不運の民家に赴き、雷火を猛烈に発して悪霊を退け、また天羅地網を張りめぐらして一網打尽にし、もって個人のみならず、全家族の息災をも護る」という、広域の護身平安符である。
符脚は、「印」字を縦に割って、中に、「罡」字を挟んだ「罡印」二字の重複式であり(「総説」および4・5・10・29・42・47・66・69・74・80・94各号符参照)、複雑な符頭とは、ほぼ見合っているのである。全構図から見れば、本号符は人の意表をついた、複雑にして、特異な図形を以って奇を衒うという、いかにも神秘めかした符令である。また、構図が複雑であれば、それだけ人々にとって、その霊験に得心がいくという、符令の好適例でもある。
(2号符以下は略)
本書は、清末から日本統治初期にかけて勢力のあった閭山(りょざん)教系の一派が相伝した科儀本(儀礼のテキスト)24点の全貌を紹介。さらにその本務である治病・魔除け・加持祈祷に用いる符令(お札)の原本・符式簿を詳細に解読。123件の符令から、法師の奉じる神仙やさまざまな呪法、法壇における儀礼をつまびらかにし、法教の実践を再現。
著者の民間信仰研究の到達点を示す大著。
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本文より
第一章
一 前言
(前略) 法教は道教よりも、いっぱんに低級だとみなされているだけに、その機能はなおさら民衆の日常生活に密着しており、加持祈祷の如き些細な法事すなわち呪法による行事ならば、民家で手軽にやれる便利さがあるから、その伝来は道教よりも早く、漢人の初期移住から、つとに導入されたと考えられる。
事実、客仔師と呼ばれる一派は、清初においてすでに活動がめざましく、弊害をもたらしたことが、地方志に記録されているほどである。各志を綜合すると、法師は法官ともいい、道士ではないが似ており、米卦(米占い)や補運(運勢なおし)などの法術を得意とし、必ず赤鉢巻きをするから紅頭師と称され、また広東潮州の客家人出自が多いため、客仔師とも呼ばれているとある。
そして道士が道教に則り、道服を着て、科儀を行う行為を道場と称するのに対して、法師が紅頭法により、ふだん着のままで赤鉢巻きして、法事を行うことを法壇あるいは法場といって、道教と法教は区別される建前ではあるけれども、清代の地方志にはまた紅頭法事を道士の仕事に取り違えたり、法師を道家の流とか道士みたいなものだという誤認もあるほどだから、民衆にとってはなおさら紛らわしくて、判別が容易ではなく、今日に至ってもなお然りである。(後略)
四 巫術
法教の本質はもとより民間信仰の底層に沈澱した巫術で、古代巫俗の残存にすぎないから、いかに道教が民間信仰に芽生え、ことに天師教は巫術性が強いとはいえ、両者には当然一線が画される。むろん外見も違い、法師は道士の服装を使用できず、ふだん着が原則だが、閭山・普庵・徐甲・嘛呢の諸派は眉と称する冠をかぶり、さらに裙をはく者もあるが、いかなる場合でも、赤布で鉢巻きしたり頭を包んだりするという頭部の固定標識だけは絶対に欠かせず、俗に紅頭仔(頭の赤い者)と呼ばれ、その法術を紅頭法と称するゆえんである。(中略)
しかして法場の科儀・呪法は、名目こそ夥しく伝えられているが、社会の変革によって需要がなくなり、伝承が失われて名称だけ残ったのもある。いっぽう法教の担い手としては、専業法師のほか、道士も無視できない。道士は道法二門兼修で、紅頭法をも心得ており、法師の業務も行っているので、彼等によって伝承されている法術ないし科儀もある。(後略)
第二章 台湾の法教資料――閭山教科儀本(劉枝萬述/石井昌子編)
一 資料の概要
(前略)資料は科儀本と掛図の二種類である。掛図は法教の儀礼を行う際に法場に掛ける神像や十王図などである。使用を重ねるうちに線香で煤けたり破損してゆく、一種の消耗品であるが、劉博士所蔵のものはいずれも保存状態が良く、絵柄も綺麗なものばかりの上質のコレクションとなっている。今回はこの中から法教との関係を示す内容のものを六点選んでカラー口絵に掲載することとした。(中略)
次に科儀本だが、全体で二四点あり、記された筆写年代からは、一八一六(嘉慶二一)年から一九二二(大正一一)年までが確認される。劉博士によれば、以下の由来と価値を有する資料である。
新竹県の客仔師の一派のものと思われるが、現在では詳細は不明である。この一派は「悪霊の辟邪(魔よけ)」を得意とし清朝時代に勢力があったが日本時代になると急速に消滅してしまう。総督府の政策と近代医療の普及のためと考えられる。
資料群としては、次の点において価値が高い。
科儀本は法師が儀礼に際して参照するテキストなので、元来消耗品である。また、師弟相伝とされ弟子がある段階で筆写するもので、容易に外部に示されるものではない。この資料は一つの壇のもので、まとまって入手したことから出所が明らかなことに加え、その壇の行っていた儀礼内容を伝える意味で価値がある。
また、達筆で誤記のないものが多く含まれることや、テキスト中に「廣顕壇」「澎呂石興信記」「石興」などと押印されているものが多いことから、この壇に勢力があり、羽振りがよかったことがわかる。その勢いは清末から日本時代初期までで、法教の活躍のはなやかな最後の時代と重なる。つまり、当時の法教の本流に近い教壇のものであった可能性が高く、資料としての価値がある。保存状態がよいのは活動が急速に廃れて忘れられていたからであろう。
二 科儀本の分類と配列
一群の資料としての価値は以上の通りだが、それらを資料として掲示するためには、分類と配列をしなければならない。しかし、各テキストについて詳細に検討していくには、儀礼の実際の再構成など周辺調査を含めての膨大な作業が必要なので、ここでは、タイトルとテキストから知られる内容により、およその分類・配列をするにとどめておくことにする。
劉博士の挙げられた原則としては、まず陽(加持祈祷のための請神科)を先とし、陰(死葬儀礼)を後とすること、また、儀礼においては、神を迎え(請神)、神の力を借りて術を施行し(治病など)、神に接待をして、送り出す(頌神、送神)、という順序が基本型なので、それにしたがって配列を心がけること、の二点があり、博士と本文内容を吟味しながら配列を検討した。
(それ以外としては、残されたテキストの形態から類推できる要素、すなわち、筆跡や書写年代、製本様式や用紙の異同によって、テキスト同士の近縁関係が想像されるが、これは本質的な事柄と少しずれるので、参考にとどめておく。)
以上の原則に基づいて、配列したのが表1である。およそ01から04までが請神、05から10までが施術、11から13が頌神、送神と分類されるが、03のように請神と大献・小献という接待が合冊されていたり、04のように請神と碗卦が含まれているものもある。
さらに、14以降については、通常とは異なる場面で使われたテキストと思われ、とくに17から22は信徒のために法場で使われるものではなく、教壇内部での使用が推定され、今後の検討を要するものとなっている。
冒頭にも述べたように、課題を多く残しているが、法教研究も少しずつ広がりを見せている今日、基礎資料を公開して、多方面からの検討を期待することとしたい。(後略)
第三章 所蔵科儀本
01 『頭壇請神書』 天運壬戌(一九二二)・四三頁・〈請神〉・一三六×二一六
・「請神」とは、神祇の降臨を乞う科儀の謂だから、とうぜん法場の最初におかれる。しかしこの場合は「頭壇」を冠しているから、複数の「請神」を含めた、複雑な法場劈頭の科儀である。
・難病治癒祈願のため、患家に招かれて行う「解災除病進銭保運」の法場だが、退災病のみならず、解煞神から保平安など改運の目的まで含んでいる。
・三奶夫人率いる神軍はもとより、その他閭山教の五営乃至三十六営兵将護衛のもとに招請される神祇は、道教・法教の高神位をはじめ、民間信仰を反映した地方神や観音菩薩・普庵祖師などの諸仏を含み、雑然としているが、かえって法教としての閭山教派の真面目を保っている。
・テキストの抄録年代は、文中の「今據台湾總督府某州某郡」とあるによって推定できる。
・科儀を司る主役法師が「師男」と自称しているが、特異な呼称である。
(02以下は略)
第四章 総説
一 符式簿とは
標題はないが、各種の符式を収録した符書である。書類の決まった書き方を書式というのにならって、符令の書き方を符式というから、これを一冊にまとめれば、符式簿になる。法事の進行過程において、符令と呪語は配合して行われるから、法師が手本として依拠し用いる伝抄本は、たいてい両者混合の符呪簿になっている。しかし分載したものもあって、この場合は符簿と呪簿になり、符令が一般に符仔と呼ばれるのにならって、符簿も符仔簿と俗称されているのである。そもそも、法師の修業学課としては、
1:駆邪押煞法、すなわち魔除けや加持祈禱の要領。
2:呪法、すなわち呪文の唱えかた。
3:符法、すなわちおふだの画きかたと使いかた。
4:指法、すなわち指を組み合せて秘術を行使するやりかた。
5:止血法、すなわち神懸って怪我した童乩に対する止血手当て。
などが挙げられる通り、符法は呪法と共に、修行過程における比重が極めて大きい。故にたいていの法壇は、それぞれの師伝による符式簿を備えており、必要に応じて画符の手本として用いているのである。符の正称は符令だが、単に符とも言い、殊に俗称の符仔が、日用語としてよく使われている。市井に法壇をかまえ、営業を行っている法師は、暇な時を利用して、需要度の高い符令を画き貯めておき、また法事執行中の時間節約にもしているのである。
符令書写の礼儀作法は、童乩が神卓前で起立し、或いは跪いて、乱暴に殴り書くのとは反対に、法師は椅子に腰掛けて卓上に向い、一途に精神をこめ、せいぜい低声で勅符呪をつぶやく程度で、落ち着いて、もの静かに行われ、高声や派手な所作を伴わない。
符式簿は、その内容から言えば、符式という単一資料に対する覚え書きとか記録にすぎず、羅列しただけだから、強いて分類すれば、雑録の如きものである。従って体裁は、科儀本の如く整然とせず、首尾が揃わず、重複再録もあって、いかにも雑然としている。しかし、教派および法壇の所在地という背景は、おのずから反映されており、ここでは台湾北部の漢族移住民に即した一面がにじみ出ている。例えば用途が、辟邪治病に偏重していることは、往時の開拓がいかに困難を極めたかの一証でもある。実際、病苦にあえぐ庶民にとって、かかる符令は、しばしの安らぎを与える、一服の気安め薬でもある。(後略)
第五章 各符の解説
1号符「玉帝勅……合家平安」(保身符)
説明に「帶身」とあるが、「帶」は俗字の「帯」となしている。すなわち、平安符を転用した、肌身離さず携帯する、お守りとしての保身符である。符式は、道教式合成偽字とか、記号や模様などが主体になっており、独特な構成である。
符頭は、希な四層構成で、複雑にして、かつまた分離式でもある。その上層は、小円と「十」字を組み合せて星辰を示す「〓」記号である(単独記号としては「総説」および55・103各号符参照、「日月」二字と組み合せた三光記号は7・17・36・44・45・46・60・64・71・98・105・120各号符参照)。第二層もやはり星辰記号だが、上に屈折曲線を載せて、三小楕円を包みこんだ円形模様「〓」である(「総説」および17・44・64各号符参照)。第三層は、常用されている三清記号だが(「総説」参照)、第二層との間に、「佛」字が介在しており、三個並列の「〓」記号は、両側の二つが変形している。しかもその位置は、甚だ妥当を欠き、慣例としては、上層すなわち符令の先端に据えるべきであることは、すでに「総説」で述べた通りである。下層は、五星の星宿図だが、その構造は、二十八宿星図の「星宿」とは、似て非なるものである。五星の配置は「〓」となっており、上下に分れ、上の星辰を示す二個の小円は離れているが、下の三星はそれぞれ短線で連結している。しかのみならず、上の二星と下の三星の位置は、その中間を、巨大な四角形網目模様で隔離されて、なおさら目立たなくなっている。かように、四層構造符頭の例は少なく、その希少価値を以て、本号符の格式の高さを誇示しているのである。しかして、各層が直結せず、中間に符文を挟んだ分離式多重符頭は、符式の常套であり、事例が少なくない(「総説」および5・9・10・26・27・30・31・32・38・46・55・56・60・78・80・86・97・105・106・110・116各号符参照)。
符文は、三段に分れる。上段は、「佛」と「〓」の二字だけだが、その中間に天羅地網を表わす四角形網目模様が挟まれている(16・17・60・64・105各号符参照)。「佛」字は、最後の筆画を伸ばして、全字を円く囲んでいる。その両側には、「玉帝勅」と「天師勅」の二句を配しているが、これは玉皇大帝と張天師連合の、定型化した、希な複数司令神である(2・16・25・42各号符参照)。「〓」字は、その両側に、「天清」と「雷火」の二句を配している。しかして、この場合の「佛」とは、主動仏のことを指しているのだが、後述の如く、普庵祖師を指していると推定される。なお、(「総説」および38・64・92・113各号符参照)は邪鬼や悪霊などに対する威嚇の偽字だが、ここではまた本号符にこめられている霊力の中心、ならびにその発揮点をも示しており、符文とは遊離しているのである。
中段は、「雷」を五字連ね、各字の下部両隅から、三巻きの鬚模様を八字髭型に延ばし、その先端に「火」字を嵌込んでいる。雷火とは、落雷の轟音と稲妻を神格化した、雷公と雷母という一対の夫婦神を指している(15・16・47・103各号符参照)。この五字連続の鬚つき「雷」字は、二式ある五雷記号のA式に当り(3・4・5・10・58各号符参照)、全体で雄渾な図形を構成している。
下段は、〓状のくねった交差曲線と、両足の如く股を広げて垂らした二本の曲線合体の、変形「令」字(「総説」および20・26・27・30・31・32・39・40・41・64・70・71・81・82・97・100・105・110・120各号符参照)、及び「五雷大將□□□法」で、判読不能が三字あり、「發」を同音の「法」と、故意に誤写している(「総説」参照)。またその両側に「六丁」・「六甲」と、「合家」・「平安」の対句を配している。
本号符について、符式の面から見れば、いかにも複雑すぎて、それだけに難解であり、常用の符令ではないことを仄めかしている。実用性の高い符令ほど、符式が単純化される傾向があり、これは需要と供給という実際面から見ても、首肯できる現象である(「総説」参照)。
三巻きの巻き鬚模様は、他の文字にもつくが、ここでは「雷」字につけ加えられている。しかして、かかる八字髭型の「雷」字記号は、本号符のほか、3・4・5・10・25・41・58・78・123各号符にも見られ、合計一〇例で、比率はかなり高い。無論これは単なる虚飾ではなく、実は威力の誇示にほかならないのである。
上段円囲いの「佛」字は、さらに巻き鬚模様の尾を引く例もあり、高位仏菩薩の漲る霊力、すなわち霊験あらたかな神通力を誇示しているのである。事例としては、13・35・36・44・45・53・55・60・71・74・75・79・98・105・120各号符があり、本号符を加算すれば、合計一六例になり、使用頻度の高い手法である。そのうち35・36・53・74・75・79各号符は普庵祖師で、98号符は観音仏祖、105号符は阿彌陀仏、120号符は仙師で、各一例しかないから、確率から推して、本号符の主動仏も普庵祖師と推察される。
しかして、「合家平安」こそ希求の目的であり、家宅正庁の神卓上か燈梁(天公炉や字姓燈などを吊す梁)に貼る、平安符の常套語である(12・25・32・39・41・50・69・78・86・100各号符参照)。
符文を整理すれば、「玉帝勅、天師勅、佛、(天羅地網図形)、天清雷火、(五雷火図形)、六丁六甲、□□□發、合家平安」となる。大意は、「司令神たる玉皇大帝と張天師の命を奉じ、普庵祖師が主動神として、五雷神ならびに六丁六甲(5・36・38・82・92・97・113・120・122各号符参照)の神軍を率いて天降り、不運の民家に赴き、雷火を猛烈に発して悪霊を退け、また天羅地網を張りめぐらして一網打尽にし、もって個人のみならず、全家族の息災をも護る」という、広域の護身平安符である。
符脚は、「印」字を縦に割って、中に、「罡」字を挟んだ「罡印」二字の重複式であり(「総説」および4・5・10・29・42・47・66・69・74・80・94各号符参照)、複雑な符頭とは、ほぼ見合っているのである。全構図から見れば、本号符は人の意表をついた、複雑にして、特異な図形を以って奇を衒うという、いかにも神秘めかした符令である。また、構図が複雑であれば、それだけ人々にとって、その霊験に得心がいくという、符令の好適例でもある。
(2号符以下は略)